また終わるために

いっしょにすごしたときめき

清らかな狂人

「それがどうした」「そんなもんだ」

手帳持ってて制度的に「障害者認定」に組み込まれている私は、父親にとってショックだったらしく手帳を持っている事実を私から打ち明けた時、絶句していた。

ばかめ、と思った。私は何を今更、と思ったのである。17年もうつ病で通院していたら、手帳取得している方が何かと得だし、ここでなんと言われようと周りの目なんて二の次だ。全く気にしないとまでは言わないものの、たかがひとつの先進国日本でそう認定されているからと言ってなんだと言うんだ?私が狂っていようと周りが狂っていようと、関係なくて、私はどこに居たって私なんだ。それは周りの人間が狂人でないという証拠にすらならないのと同じで、私が狂人であっても別に証拠は究極的にはないというものだと思う。

それならば、清らかな狂人でいたいな、と願う。自分が正常だという認知こそ、間違いなんだと疑った方がずっと知的だ。その懐疑、精神の塩は持っていたい。

【小説】愛を探し、会いに迷い、アイを知り ③ ~伝聞と嘘と、本当の話~

夢の途中、マフィは目をさました。自室でうたた寝をして、夢を最後まで見送ったことがない。いつでも途中で途切れ、ああまだ私は死んでいなかった、と取り残された気持ちになるのである。友人が、何か言っていた気がした。しかし、もう幻である。すべてはもとに戻らない。夢なんだから。

たまに夢の続きをみることもあるらしい。マフィにはない経験だった。まきのはトモエに朝目がさめてからよく夢の話をする。ああ今日の夢の暗示サイアクだった、あの夢、なんかこないだの続きだったんだけど、などと言って。(まきのは夢占いが好きだ。)

夢の中で友人に会うことはたまにある。しかし現実にはもう2度と会えない相手である。死別すると、待ち合わせ場所は夢の中しかなく、しかも約束というよりシェフの気まぐれサラダ的な確率論であり、私の不意をつく逢瀬になる。逢瀬というよりは、私がカメラのような視野で相手を文字通り見ている、そして、ときどきは相手と何かの途中で場面が切り取られている。そのどれもが中途半端に終わる。すうっと現実の私が点描され、徐々に解像度を上げる・・・・・・なんて切ない瞬間なんだろう・・・・・・。

先日お墓参りに行って花を手向けてきたら、その友人の口から花が出てきて止まらないという夢を見た。不思議だ――黄泉の国の言葉はおそらく花なのだろう、とマフィは考えた。お礼を言いに来てくれたのかもしれない。

マフィは、ヴィーに会いたくなった。一緒に暮らしていても、まきのとトモエなしには私との時間を考えてくれない。ヴィーは私をどう思っているかという自問は――いつも、恋人という解答には達しない。急にアルコールが欲しくなった。今日は休肝日ではないし・・・・・・。

16:00を少し過ぎた頃だった。だいたいこのくらいの時間まで昼寝していることが多い。そしてお酒を飲む。マッコリがあったはずだ――アルコールのラインナップはヴィーの趣味である。マフィは、マッコリを飲もうとダイニングへ向かった。

しんとしている空気を破るように冷蔵庫を開けると、冷えたマッコリがあった。コップにすら注がず、そのまま口をつける。生き返るようだった。

まきのはよくマフィに、もう少し計画性をもって飲むことをコーディネートしなよ、と言う。なんだよコーディネートって、とマフィは少し面白がる。調節という意味よ、とまきのは真顔で返事する。私は笑う。若いからなにしてもからだが許してくれる。そういうおごりがまだ私にはある。

マフィは21歳だった。冬に生まれたから、本名を真冬というが、まきのが英語風にマフィ、と呼んでから皆がそう呼ぶようになった。

ヴィー、と声を出して呼んでみた。つかの間の沈黙が耐えられない。ヴィーは、いつも私に不在を与えてばかりのように思え、そしてこれもいつものことだが、そんなヴィーがマフィには恨めしかった。自室にもいないようだ。ヴィー。好き、って言わせて。マフィは思った。

マフィは相手との仲が深まると、強く出すぎるきらいがある。そのことをマフィ自身も悩んでいるが、どういう理由なのか、どういう仕組みなのか、考えれば考えるほどつらくなるばかりで、わからないまま手探り状態だった。ひとりで暗闇相手に戦っている気持ちにさせられて、それすらも相手からの夜だと考えてしまうと恨めしくて仕方ない。ヴィーが私をもっとそばに寄らせてくれないから、と願いを込めて恨む。私とヴィーがひとつになればこんなこと考えなくていいし、苦しまなくていいのに。だれもいない世界に行って私がひとりきり自由になるか、あるいはヴィーとひとつになるか。もうそれしかいらない、だけど、その両方がどうしても実現しないことなのだということも、わかる。私は知っている、ほんとうは私のままで私を愛してくれるということが現実にありえないかもしれないという不安に戦慄せずにいられないのだということを。じゃあ、私って何?と、マフィは考えた。

まきなが以前言葉遊び的な説明をして、トモエとヴィーに雑談を交わしていたのを思い出した(ヴィーがまきのたちの雑談に加わることがまれなのでおぼえている)。ねえ、愛ってよくわからないよね、私=I (アイ)、がよくわからないことと同じく。だから、愛=I (アイ)であり、I は数学だと小文字のi で、虚数なんだよね。つまり、私たちの概念の外側にあると考えて、かかわる方がむしろ見えてくるものかもしれないね。数学のことなんてよく思い出せないけども、虚数。この字面の印象でなんとなくこの世には、つかみきれないものすらつかもうとする考えがあるんだな、ということはわかる。

ヴィーが以前、言っていた。よくわからなかったから、うろおぼえだけど。

「俺は愛にはグラデーションがあると思ってて、愛のやり取りは非-知の領域がどうあっても必要だと思う。けど、どうしてもそれを容認したくない、そんな自分にどうにもできなさそうな場所なんて、考えたらおそろしい」こういう感じのことを。

それは私も思う、とマフィは考えた。けど、自分自身というものがそもそも、親ガチャという言葉の流行からもわかるように、選べないものじゃないか。それは自分の技術介入みたいなものをまったく無視した、私、という不可解な存在が現実に存在しているという事実の裏付けだ。

急に、マフィは人生が怖くなった。よく生きてきたな私、こんな不可解なままで、とまじめになればなるほど、自身の実存のあてどなさに、切実に心配になった。こんなことを話すと、まきなとトモエに笑われるだろう。秘密にしておこう。

【小説】愛を探し、会いに迷い、アイを知り ② ~伝聞と嘘と、本当の話~

まきのまきなは、2度結婚し、そして、その両方をうしなったのだった。つまり、離婚を2度経験している。しかし、どちらの相手も海外のひとだったので、戸籍はきれいなままである。一度目は10年間一緒に連れ添ったひとがいた。韓国の男性だ。まきのはこの経験で韓国語をマスターした。つまり、韓国の男性との恋愛、および結婚生活で、である。2度目は、アメリカの男性だった。英語はこの相手から学んだ。まきのは日本語、韓国語、英語の3か国語を話し、理解する。しかし、めったに口にしない。忘れてしまったことも理由のはんぶんにある。

もう愛の破局はこりごりだというのに、私はまた誰かを手に入れようとする。これはどういうことだろう、この性懲りのなさは?・・・・・・ああ、あるいは、そうか。私は”破局を経験(しかも2回も)したからこそ、その成就をみとめたい”のか。そうだ、そんな気がする。しかし、愛の成就とは、ヴィーも考え込み理解できない様子だったけども、いったい何を指すのだろう?何をもって、「愛の成就」が成立するのだろう。

恋愛→結婚→離婚も、経験した。だから結局は喪う事こそ、相手をより一層ほんとうに愛することのできる状態なのではないかと考えるようになってしまった。人は喪う事でしか、ようするにほんとうに相手を想うことができないのではないか、と。

それも一理ある、とまきのは考えた。しかし・・・・・・、しかし、私の父親はそれでも私より結婚→離婚の数が多く――3度、だ――こんないいかたはあけすけすぎて変なんだが、性欲の減退した70歳の頃でも、6歳年下の恋人がいた。つまり、恋愛状態にあった。なぜだ?

結婚したら?と、私は父親に言ってみたことがあった。だって、私が思春期の頃には留保無くそうしたんだから。今、彼がそれをしない方が不自然な気がしたから。

「結婚はもう懲りた」車を運転する父親はまっすぐ前を向きながらこう言って、この話はそれきりだった。

ばかな、と私は怒りを感じた。今もそうだ。そのことに対して、というよりはむしろ、思春期だった私に必要なのは彼の新しい恋人=私にとっての義理の新しい母親、ではなかったのに、つまり父親から女性の陰や姿かたち一切を感じる必要などなかったというのに、それを嫌というほど示してきたこと、あまつさえふたりは結婚し私も含め家族として共同生活を強いてきたこと、それらの苦痛を彼は私に強いてきたのに、成人してお互い自由になった途端に、懲りた、といって結婚しない。いわば、家族に操を立てているような(彼自身にその意識が一切ないにしても)状態なのは、バランスを欠いているのではないかと私はつくづくあきれたのであった。

ある日父親が電話をかけてきて、元気か、とらしくないうかがいをたててきた。私はすぐに、なんの用?と詰め寄った。気まずそうに言葉を濁した後、彼は言った。がんになった、と。肺がんだった。2年前、この病で父親は亡くなった。

病床に臥す父親が、危篤だという連絡を受け、すぐに駆け付けた。親族のものが――そこには、父親の恋人も――ならんでいた。点滴をつないで、生命のともしびのようにしずくのおちるそばで、父親は今にも目を閉じたまま戻らないところまでいく様子だった。せつこ、と言った。彼の恋人の名前である。まきな、と次に私をささやき声で呼んだ。もう口だけが動いて声がしない。まきな、の音節で精いっぱいだった彼の耳許に、私は口を近づけていった。

「死んでも許さない。お前は犯罪者のまま、埋め合わせもできずに召されろ」

私の声は、ほかの誰にも聞こえないほどささやかなものだった。そうして父親は心電図を直線にして、逝ったのだった。

これが、私の冷たい復讐の記憶。復讐は時間をかけないと功を奏さない。それを知ってのことだった。

【小説】愛を探し、会いに迷い、アイを知り ① ~伝聞と嘘と、本当の話~

まきのまきなは正直、愛をまっすぐに信じ、表現するマフィがうらやましかった。

私は嫉妬を知らないといいつつ、うらやましいという感情を知っている、そして私憤を義憤にするという作業をもしかしたら無意識に組み立ててしてしまっているのではないだろうか、といちおう胸を探ってみたものの、心当たりがありすぎて逆になにもわからなかった。

マフィはおそらく、眠っている、自室で。その間に私がヴィーと深く話したことが、わかってしまったら・・・・・・、私はどちらに傾くのだろうか、と考えた。マフィか、ヴィーか。どちらに独占欲を示すか?理性は呼びかける「マフィ」、しかし、よくわからない原始は呼びかける「ヴィー」。いや、私が本当に、掛け値なしで呼びたいのはどちらなんだ?これは、友情か恋情か、という問題ではない。はっきりいってしまえば、独占欲をどちらにみせるのが自分の”正しさ”になるのかという問題なのであった。

ヴィーは出かけてしまった・・・・・・、愛の話をすると、こんがらがって、いつもチャミスルというお酒を飲んで酔っ払う。私が飲んだことのないお酒の味を知っているヴィーと、そのハングルの言葉の由来を知っている私とでは、どちらがそのアルコールについて、商品について、知悉しているのか。

マフィごめん、とふいに謝りたい気持ちになった。いますぐマフィの夢の中にログインして、マフィに謝罪したい。ごめんなさい、と。「ごめんなさい、あわよくば私もヴィーと深い仲になりたいの」このエクスキューズは、とくにマフィに対して限った話ではなかった、まきのは、異性一般にたいして、いつもこういう心持を抱きがちだった。

「彼氏がいても、あなたと仲良くなりたい」

「おそらく私が結婚していても、私はあなたのものになりたい」

それは、バイ・セクシャルを公言するトモエに対しても、同じ感情を抱いた。

「トモエ、あなたは私と秘密を共有できるの?試していい?」いつも問いかけるような、見つめるような、ためつすがめつを押し殺してきたのだった。

秋の風は、忘れかけた人を運んでくるのか

ふいに忘れかけていた人を想いだす・・・・・・秋の風は夕暮れと一緒に、その人を運んできて、心の隙間を吹きぬけていく・・・・・・秋の風は・・・・・・。

とてもさびしい。夕暮れのグラデーション。あれを瞼に塗れば、涙は乾くのか。

とてもわびしい。女性はそんな言葉を言わないと、古い作家が言っていた。だけど私はつぶやく、わびしい、と。

秋は、わびしい。わびしいとささやいたとてやって来る秋。小さい秋を、少しずつ見つけてしまいながら、人は去っていく、私のもとを。

さびしい。秋よ、どうしてやってくる?

【和訳】eyes on me

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【まきのまきな訳=解釈6:訳4】

私が私の歌を

歌うときはいつでも

ステージの上で、ひとりきり

聞き届けられるよう願った

言葉たちを口にするときはいつでも

あなたは私に頬笑んでくれた

それは本当に現実だったのか、

ただの私の夢だったのか

ほんのちいさなこのバーの一角で

あなたはいつもいてくれた

私の昨夜はあなたのため、

ここにいたのよ

ただもう一度だけ、お馴染みの古い歌を

私の昨夜はあなたで

張り裂けそうだったかしら?

そうね、もしかしたらそうかもね

あなたがあなたのままでいることへ

私はあなたにもそうあってほしいと

望むの、つまり

あなたの瞳に映る私がどれほど

おずおずとその場にいたか、ということよ

ねえ、知ってるの?

もう私はあなたに夢中だということを

ねえダーリン、だからそこに居て

まるで傷ついた事がないみたいに無垢に

たとえば

全然落ち込んだことがないみたいに

天真爛漫に

ねえ、私、こうしましょうか?

とても柔らかくあなたを摘んじゃうの

もしあなたが眉をひそめたら

それは

あなたはぜんぜん夢見人ではないって

分かるわね

だから、あなたへ来て、と言わせて

私の気の済むくらい近くに

めちゃくちゃ側に

あなたのハートが

どきどきしてると感じるように

そしてそこにいて囁きかけるから

私があなたの穏やかな瞳に映ることを

どれほど大好きか

ねえ知ってる?

私はもうあなたのものだって

ねえダーリン、だから

私とシェアしましょうよ

もしあなたが愛を充分もっているなら

あなたのその愛を

もしあなたが秘密にして押さえ込んでいたり

気に病んで仕方ないなら

あなたの涙そのものを

ねえどうやってあなたに教えたらいい?

そのときドレスや歌声なんて関係なかったことを

そうよ、私に近づいてきて

そしたら

あなたは夢なんてみてないんだって

気づくはず

ねえダーリン、だからそこに居て

まるで傷ついたことないみたいな

あどけなさと

落ち込んだことのないような

天真爛漫さで

こうしましょうか?

柔らかくあなたを摘んじゃうの

あなたが眉をひそめたら

ね?あなたはたしかに

夢見人ではないって分かるわ

やさしくされているという証拠をどこまでも追求する日

イフェクサーという薬が処方されて、1か月弱服薬したけども、落ち込みすぎて、ベランダは飛び込みの引き金に、電車も飛び込みの引き金に、大通りを走る車も、同じ。自殺チャンスの目につく日が続いて苦しくてたまらなかった。そして、憂鬱は大きな雲でブレインを覆ってくるようで割れてはくれず、光はささない。

やさしくされている、という証拠をどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでも、

 

どこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでも

      どこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでも、

 

 どこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでも

 

 

 

どこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでも、見せてほしかった。病んでいた。これは断じて私の負けではなく、イフェクサーという薬が患者である私の憂鬱や抑うつを改善してくれなかったんだから、ぶんめいとかがくの敗北なのである。

さくっと、愛を

さくっと終わらせましょう、と言われてなにいってんだよ、と怒りたくなった。

というか怒ってゐる。私と彼氏の恋についての助言(のつもりのなにか)だったから。

むしろ聞いてみたかった、長年でも短年でも、恋や愛を”さくっと”終わらせるひとの人格を疑わないのか?と。言葉の綾だったとしても、それはそれでにんげんが一番最初に手に入れる文明を、大事にしていない証左だと、その”さくっと”に見出した。

言葉を大切にしようと思った、と同時に、恋も愛も、もっと大事にして失う時も病める時も、さくっとはやめておこうと思った。湿った終わり方で、私はいいと思う。

友情の謂い

たまにひとと疎遠になると、さよならといって自宅に戻る途中に不安になったりもするし、もしかしたらそれが永遠のさよならになったりもするだろう。じんせいはなにがおこるのかわからない。なにがおこっても、おかしくない。なぜなら人生という所与じたいがもうね、つねにすでにバグっているから。

そう。ひとはあまりにも過酷でつらいことやかなしいことややるせないことのちりばめられた人生にたいするには、むしろ脆弱すぎるくらいだ、そう作られていることが不思議でたまらない。そのかわりなのか、そういう矛盾と相性の良く作られている、世界にある不可解な事象、それが愛なんだと思う。

友情は、扉を開けたらいる、というのではない。ただ、扉が閉まっている時間が長かろうが短かろうが、はーい、と奥の間から応答があること。なるほど、これが友情の謂いである。