また終わるために

いっしょにすごしたときめき

あの場所で

あの場所から、靴下を贈った思い出がよみがえり、あの場所でその記憶がとじる。

私は元彼をほとんど思い出さないけど(というのも、その愛の綻びが見えていた記憶が強いから努めて憎しみを抱かないように、思い出を汚さないようにしよう、という防衛本能からだが)、叶わなかった白い国の片恋相手についてはよく考える。その人はついに私の前に現存しなかった想像界の人のままだからか、私にはいつまでも恋しい。

その人だけのあの場所で、私だけのこの場所には来なかった人。

その人の言葉をもっと知りたかった、その場所にいつもおやすみを言いたかった。さよならすら意味が無い。そんな場所に。

no words

伝えたい事など、無い。記しておきたい事も、無いかもしれない。近頃言葉の無力を味わわされている。

私は年末に臨み、来年の誕生日までには弱虫を何とかしたいと考えた。しかし、それもこれも、成り行きの力によるものだという気がする……私は言葉の無力さだけでなく、自分の無力すら味わっている。

時々、というか、たびたび思い出す、私の罪を一身に引き受けてしまった人たちに対する私が一生できないであろう埋め合わせについて……考える。苦しくなる。言葉と自分の無力を知る。

私はどこへ向かうというのか?

夜中のクッキング

中途覚醒した。私は今風邪をひいていて、よく眠れずにいる。熱が出ていたり、咳にむせていたりして、深く眠れないのです。

そこで目が覚めたからここぞとばかりに料理をたしなむ。野菜はたくさんある。キャベツ、ピーマン、なすび・・・・・・、トマト缶。トマトスープを作ることにする。

トマト缶は酸味があるから少しはちみつを加えるとおいしいよ。酸味と甘み。人生の大半をその艱難辛苦によって埋め尽くすもの、それは生活だと思う。生活は本当につらい。かっこわるいことの事務的処理が多いから。それは、味気ない。その味気ないことをすると、少しばかり甘いものが欲しくなるし、あったらいいなと思う。幸福とはすべきことをする意思の中にこそ存在する、という趣旨の言葉を残したのは、ジェームス・バリーだったかな。

今回は野菜だけのトマトスープにした。このやさしさと厳しさのあいまった、赤くてあたたかな未来。フライパンで作った。

なんてことはない、忘れられない人

成就しなかった片恋相手は、いつまでたっても恋しいなあ。そういう恋しい人が、もういっぱいいて、溢れているけれども、また増やしましょう、もうひとつ、もうひとつ・・・・・・、と年々増えていく。もしかしたら、生きることは年を取ることを着こなしていくことで、そしてそれは、恋しい人を増やしていくことなのかもしれない。

忘れられない、忘れられない・・・・・・、とグラスに澄んだ水を柔らかく注ぐみたいに、そういう音を立てて、増えていく恋しい人たち。表面張力いっぱいまで膨らんだ、水。だけど溢れそうで、こぼれ切らない気持ち。

なぜわたしはひとりなんだろう

雲のシグナル、それをうけとったみたいにふと思った。なぜわたしはひとりなんだろう。孤独を何で深めていけばいいか、何で埋めていけばいいか、希望?そういうものはどこで拾えるのだろう?

部屋が相変わらず散らかっているけれど、きれいに整頓されたかばんや洗面台の下はすっきりしている。これはなんのメタファーなんだろう?生活の・人生の、すべてをメタファーだと考えることは狂人になるに等しい。しかし・・・・・・しかし、私は考える。これは・なんの・めたふぁーなんだ?と。

雲のシグナル、そういうものはなにも答えてくれない。ただ、かくあれかし、と私をちょっと小突いてみるだけなのである。雲だから、ふわっとしていたり、さらっとしていたり、する。けれど、確実に私になにかしらかを思い起こさせる・・・・・・感情や思考、こういうものがあって、いったいひとは遺伝子の乗り物で、血液の入れ物で、いったい、いったい、いったい・・・・・・。

太陽の誕生日

朝、目が覚めてすぐに考えた。ゆうべの本棚組み立ての続き、私は今日頑張ることができるか、そしてできなくても頑張らなきゃならないから人生は厳しい、と。

カーテンを開ける。昨日取り付けたばかりの新しいものだ。東向きの窓から太陽が目を覚まし、私は声をかける。「がんばるぞーーーー!」

今日は太陽の誕生日。卵焼き作って、おめでとうだ。

それにしても、ほんとうに本棚は完成するのだろうか・・・・・・本来は2人大人で組み立てなきゃならない代物を女子1人でもんどりうちながらあーだこーだと作って組み立てているんだ。もうそれだけでもいじらしいな、私よ。がんばれ。

えいえんと、いちにち頑張った話

あのですね、今日いちにちとってもがんばったんですよね、私。それを自慢したくて。あーそんなんだねえ、とおはなしをうけがっていただきたくて。こうしてブログに書いています。

シーシャを近々、吸いに行ってみたいと考えています・・・・・・未経験なので、ちょっとこわいけれども、小説のネタにしたいのでどうしても体験しておきたいという気持ちです。

いつか留学して、英語でも韓国語でも、すらすら話せるレベルのスキルをつけたいなあと思ってゐます。英会話のイベントが催されているのを見つけ次第、参加するようにはしているのです。おなかすいた。

自分自身へのご褒美に、きょういちにちとってもがんばったご褒美に、好きな雑誌を3冊まとめて大人買いしました。この季節はおしゃれがとっても楽しみになりますね。なにせクリスマス・・・・・・、おお、今年は女子友と一緒に過ごすのですが、クリスマスという大型消費イベントが控えているのですしね。

それにしても、ほんとうにがんばったね、きょういちにち。えいえんの頑張りになるんじゃないかと思って途方に暮れたしくたびれたこともあったけど、それでもやり遂げた!腰と、背中が痛いね。がんばったね。ありがとう。

恋すてふ、その後

 

失恋した、から、なのか私はバーで一人でカクテルを嗜んでいる。もう酔いはまわっていて……一人で飲むのは苦手だ……だからバーに来たけど、マスターによると21:00からでないと人はなかなか来ないらしい。困るな……もう怖くて、帰り道が特に怖くて、帰りたくなってる。しきりにおしゃべりを繰り広げている男性の方がいる……私は待ち人はあらわれないのだなあとつくづく思う。

 


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crying like a child

漠たる思いで見つめる秋空の曇り模様にふと、死を想う。自分の生き方に別の意味を求めてると感じるそのひとと、私は分かり合えないだろうと。それでも希求する気持ちがあるのはどうしたことだろうかと。この人間としての美しい、「にもかかわらず」のかなしみ。そのことから教わる、喜び。

私は夜のうちにいて、泣いている。あの月が欲しいとねだる子供のように。

この世の終わり

秋、日の暮れ方に思った。

どうしてかなわなかった恋の相手はいつまでも恋しく思えるのか。

ある歌を聴く。よくあるポップソングだ。雲のシグナルのように刻むリズム……あの夕焼けの向こうにあなたがいる、そんなように思える。