また終わるために

いっしょにすごしたときめき

慕情

まいったな、会わなくていいはずなのに、という一言を私自身で反芻して消えない火を消そうと頑張ってしまっている。無駄な抵抗というやつだ……私はいつの間にか恋愛のただ中にその人と共に居て、あの人もきっと私が欲しいはずなのに、なのになのになのになのに……と、言えないからでなく言わないでいるだけで、こんなに苦しい。

メッセージが来たら、素直に反応せず、どこか他人事のようにうわの空で、いくつも空を探すような、青空を手探りしつつも、その人を求めている。待ちぼうけ。電話で苦しむなんて、そんな恋の徴(しるし)を私がまさか見せるとは思っていなかったのに。そんなの、今だって信じていないのに。

じゃあ付き合う?

あなたが好きです。

言われたら嬉しいのは後者。これだけはたしか。

薄情な私の胸を締めつける

父親のことといい、男友達のことといい、胸が締めつけられる。私は薄情と自分に決めてかかっていたのに、人情らしいものがまだあったようだ。疑って詰め寄ったり、信じきれず頭を悪くしたりすると、こういう切なさに直面する。

春はもう終わる頃だ。葉桜がようようと緑に光っている。

鬱と再生

いつか結ばれるより今会いたかったけど会えなかった人の影が、春の木々が芽吹く中を目を伏せて歩く私のまつ毛に滲む。どうしても私とは重ならなかった人たち。

一昨日の真夜中にやってきた春の嵐で干していた洗濯物が全てダメになってしまったけど、今日は晴れたからまた乾いた。私はそれを取り込んで、丁寧にたたみ、また着る。こうしてどんな悲しくてつらい思い出からも私は再生する。

すれ違って分かり合えないままの人は春の木漏れ日の中揺れている。私はそれだからこそ、歩ける、いや、歩かなきゃならないんだという気がした。

突然訪れた春の嵐

面倒がやってきたのですよ。

まずそれほど関わっていない友人が登録していたマチアプの不具合でいい感じの相手だった方と連絡する手段を失ったから、色々な理由から私が代行で相手を探すことになったんですね……聞くだけで面倒くさそうだと思ってくださると読者さんを信じてますけど、実際は本当にとてもおっくうです。まあ友人の為だから協力しますけど、なにかご馳走して貰わないとなあ、割に合わんと思ってます。

あともうひとつは、通っていたエステが今月末で事業終了なんですって。だからそれまでにお問い合わせか実際に店舗まで足を運んで詳細を説明してもらう必要があり、場合によってはお金を返してもらわないといけない。私が損するからね。

こういう面倒がいちどきに起こって、嵐が頭の中に入り込んできた心地がします。ためいき。

うららかな眠気

本当は春の午後晴れた日は、胸が苦しくなってしまう。なぜだろうか。春の彩りの裏に訣別や別離の悲しい修羅が潜んでいるようで。その影が悲しくも切なくてたまらないのかもしれない。

私は眠い。冬以上に春が眠い。夢で、父親といる時も母親といる時も苦しみが別の形で同じふうにあることを教えてもらった。

柔らかい春の夜雨に花が散る。そして、新緑が芽吹く。夏への扉は、もう開きかけている。

けど、私はまだうららかに眠い。

風呂ハムレットの乱

風呂ハムレットというのは、毎晩入浴するのを躊躇ってためつすがつもんどりうっては、けっきょく入浴を怖がって「入るべきか、入らぬべきか。それが問題だ」と神妙になる私のことなのである。

私は入浴が本当に苦手で、どうしても怖がってしまう。

色々原因やその心理機序を考えたのだが、どうやら風呂に入らずにいるというのは一種の自分ネグレクトらしく、それをいわば見て見ぬふりをしたあとのタイミングで入浴をすわやっと実行するので、なにかその行動規定に理由があると思ったんですよね。じゃあ、それはなにか?

どうやら、鬱に苦しんだ私の人生をやっと光が助けてくれて救われるといういわば一人芝居による自己証明にしているかもしれない、と気づいたんだけどどうなんだろう?色んな複合的理由がそこにあるけども、これも理由の一部になっていると思いました。最終的に言えるのは、私はどうにかしてあの10代20代で味わってきた艱難辛苦から救われたい、という一心だったんだなということなんだけど、今も習慣的に、私は暗闇の中ひとりきりで独り相撲をとっているんだなと思ったよね……つくづく気の毒な私!

入浴が怖いというのは、ひとつの哲学になりつつあるるんよね。鬱が私にとってひとつの哲学であるのと同じく。

たぶんこの先も入浴恐怖と風呂ハムレットについては、千々に乱れて文章をしたためていくと思います。

私から嵐に飛び込んで

剣道を始めてみたのだが、とにかく3ヶ月はやってみようと思っているものの、ひとをバシバシしばくのが私には恐ろしいことなので、今日も「先生、すみません!」といいつつ、面を何度も本気で振りかぶってくりひろげた。その節はありがとうございます。

剣道には女性が居なくて、私1人だけだったので驚いたのだった。めちゃくちゃ浮いてる。道場はひんやりとしていて足元がひたりと冷たくなる。それでいて夏は暑い道着を被って動きまわる。よくやろうとこころみたな、私よ。

いつも夢を見るのである。私が実家にある旅行土産の父親の木刀で父親をうち付けようとするが、躊躇って逆襲されて恐ろしいうちで目が覚める。あの木刀で、父親を、私が、という暴力の夢は必ずこの取り合わせなのである。

道場の門下生のなかで最も強いのは、モリさんだと思う。まだ何も知らないのだけども、みていると1番洗練されていて、すぐに目につく。容姿も端麗だ。今日帰り際に靴下を探していたら、その爽やかモリさんが、「お疲れ様です」と、やはり爽やかに私に声をかけて下さったので、大変感動したのだった。気さくな方らしい……帰りは、モリさんのことを考えて、柔らかい春雨に打たれていた。目標を見つけた気がした……いつか、強くなる私。

るろうに剣心の漫画でも読んで剣気を高めようかと思った。モリさんは、言うまでもなく剣気があるから。 知らんけど。

私は春の雨が針ならいいのになと考えてみた。これで身体じゅう刺さっても、今なら別に構わない。そんな気分だった。

暮らしに嵐がやってきて

相席ラウンジ通いを知ってからというもの、私の暮らしはすっかりダメになった気がする。まず部屋が散らかるようになったし、私は日々のタスクに以前よりも無頓着になったようだ。帰宅して何もかも放り出して疲れ果てて眠ってしまうことが増えたから。

あるいは、春だから。ただそれだけかもしれない。とにかく眠くて、ぼんやりしている。

「連絡は君を乱しちゃいけないと思ってしなかった」

「考えてもらうために空白をあけたつもりだった」

これでいい。もう私を忘れてもらっていい。けど、どうしてこんなに桜が咲いているのにさびしいんだろう?満開だから余計さびしい。そして、葉桜は、予感を含んでいるから。

私は決めかねて立ち止まっている。春に戸惑うのは毎年のことだけど、今年は君という嵐が暮らしにやってきたから。

一緒に過ごしたときめき part2

昨夜はありがとう。キスしてその次は何も無かったんだけど、窓の向こうで春の夜が吹き荒れているうち側で私たちは裸で抱き合っていた。優しさ。永遠の換喩。けど、その響きは全てあなただった。

ありがとう。でも、私が今ひとりきりで昨日をしのんでいるこの瞬間に安心している。眠れないでひとりあなたのそばで起きていた、夜じゅうそっと。あなたの寝顔と寝息の安寧の中で、私は眠れなかったから。その外側で私は目がさめていた。

もう1人の方をどうしようかと考えていた。これは背徳なのだろうか、と考えていた。誰かのものになりたいような、逃げ回りたいような。こんなこと。

一緒に過ごしたときめき

出会ってまだ2日とか3日とかの男の子と、なぜ私は一緒に自室で眠ってるんだ?どうした私?元気か?いや、元気も元気なんだけども、こういう急展開が人生で初めてだからとても戸惑っている。

ちょっと会っただけだよ。お酒を飲んで、ご馳走していただいて。手を繋いだのは、私からだけど、それだけで。それ以上でも、それ以下でもないつもりだったのに。

どうなってるんだろう?何がここまで私を運んだんだろう?ずるいのか私は?

きっと恋人にはなれない。歳が離れすぎてるから。私、しっかりして?理性、私を引き止めて。それと同じくらい、理性、私を放っておいて。

どうなっているの?男の子の瞳は罠なんだな……あと、低い声と人懐っこい笑顔……甘い罪の底に突き落とされて……もう遅い。