まきのまきなの喪日記
あの場所から、靴下を贈った思い出がよみがえり、あの場所でその記憶がとじる。 私は元彼をほとんど思い出さないけど(というのも、その愛の綻びが見えていた記憶が強いから努めて憎しみを抱かないように、思い出を汚さないようにしよう、という防衛本能から…
失恋した、から、なのか私はバーで一人でカクテルを嗜んでいる。もう酔いはまわっていて……一人で飲むのは苦手だ……だからバーに来たけど、マスターによると21:00からでないと人はなかなか来ないらしい。困るな……もう怖くて、帰り道が特に怖くて、帰りたくなっ…
私はここで、独りの夜を埋める喪の仕事をするだろう。 私
わたしの悲しみは、苦痛や遺棄などの最上級ではないし、抽象的な典型のようなものでもない。それどころか、新しい型なのであり・・・・・・。 ロラン・バルト 【マキノ・マキナ】 新しい日の朝に気づくたび、悲しみも新たに用意され、更新される。だが、それはこれ…
――控えめでいるという勇気 ――勇気がないままでいるのは勇気があることだ ロラン・バルト 【ナレーション:まきのまきな】 たとえばあの人のTwitterをみると、すごくいいことが見つかって、それを記憶はするけど、記録(=いいね、とか)はしないでおくこと。…
黙ってなされる日常生活の価値観を共有すること(料理、清潔さ、衣類、美しさ、それから、品々の由来のようなものを管理すること)。それが、わたしなりのあの人と(沈黙の)会話をするやりかたであった。 ――そうするうちに彼女はいなくなってしまったが、今…
忘れるわけではない、だが、無気力な何かがあなたのなかに住みつくのだ。 ロラン・バルト 【まきのまきなからひとこと】 私は無気力な狂人なのだと思う。
わたしが驚く――ほとんど心配に(不安に)なる――のは、じつはこれは喪失ではないということだ(わたしの生活は混乱していないのだから、これを喪失のように語ることはできない)。そうではなく、傷なのだ。愛する心に痛い思いをさせるもの。 ロラン・バルト …
私の悲しみは説明できないが、それでも語ることはできる。「たえがたい」という言葉を言語がわたしに提供してくれるという事実そのものが、ただちにいくぶんかの耐性をもたらすのである。 ロラン・バルト そう、説明しているわけじゃないんだ、私も。ただ語…
喪は、変わることはないが、散発的であるとわかった。喪は摩耗しない。なぜなら、持続したものではないからだ。 会話の中断や、うっかりと話がべつのものにとぶことが、社交上の喧騒や不快から生じるときには、鬱状態はひどくなる。だが、そうした「変化」(…
喪失の結果がすこしずつ明らかになっている。(エクリチュール以外は)新しいものをなにも構築したくないということだ。友情、愛など、新しいものはいらない。 * 亡くなったときから、なにも「構築」したくなくなっている――エクリチュールはべつだ。なぜか?…
喪。愛するひとの死は、 ナルシシズムが強烈になる時期である。 そのあと、自由がすこしずつ鉛色になってゆき、悲嘆がすみついて、ナルシシズムは、悲しいエゴイズムや不寛容に取って代わられることになる。 ロラン・バルト 失恋は、恋愛におけるまがいもの…