また終わるために

いっしょにすごしたときめき

汚れっちまった悲しみは、まるで

悲しみは、生まれたての雪のように、純なものだった。だけど、お金のことにも、生活のことにも、なにもかもに、疲れ果ててしまった私は、その悲しみすら汚してしまった、疲労というもので。汚れっちまった悲しみ、というのは、悲しみが私を汚したのではなく、私が何らかの理由で純な悲しみを汚してしまった、というものなのである。

身体が疲労と悲しみで、まるで狐の皮衣だ。