喪失の結果がすこしずつ明らかになっている。(エクリチュール以外は)新しいものをなにも構築したくないということだ。友情、愛など、新しいものはいらない。
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亡くなったときから、なにも「構築」したくなくなっている――エクリチュールはべつだ。なぜか?文学とは、「高貴さ」の唯一の領域だからである(あのひとがそうだったように)。
【エクリちゅーるをください】🐈
そう、だからこうしてブログを更新しまくってるんだけど、それでも高貴さは・・・・・・足りない。そして、気づいたのだけど、あの人もきっと新しいなにか――友情、愛情、なんかを「構築」したくないと――少なくとも私のもとでは――と思ったからいなくなったのかもしれないと思い当たる。