また終わるために

いっしょにすごしたときめき

悲しみに生きること以外はなにも望んでいない

私の悲しみは説明できないが、それでも語ることはできる。「たえがたい」という言葉を言語がわたしに提供してくれるという事実そのものが、ただちにいくぶんかの耐性をもたらすのである。

 

 

  ロラン・バルト

 

 

そう、説明しているわけじゃないんだ、私も。ただ語りつくせないだろうけれども、悲しみや喪をエクリチュールに組み込んでいくことが、快楽であり、まあ、すっきりする。あの人は私を切り捨てた。なぜだか、結局推測の域を出ることはないのだけれども、とにかく疎ましくなったんだろう――こういう何度も自分のトピックにあがる同じような疑問すら、エクリチュールに組み込めばとても気分がいい。