また終わるために

いっしょにすごしたときめき

運命の人に、出会わない。

出会い損ないとしての出会いは、テュケーと言われてたりする(私の解釈も入ってるけど)。この出会い損ないとしての出会い=テュケーによって手に入るものは何だろう。例えば不在。例えばオブセッション。例えば悲しみ、対象aエクリチュールの快楽。私はすっかり自分自身をサンプルにして述べているだけだから、もっと賢い人なら、これとこれとこれ、みたいに並べていけるんだろうなあ。(うらやましい。)いなくなった人というのはしばしば対象aになる、私には。あと、なんだろ、出会えないからその人がより一層強く私にとりついて運命めく。もしかしたら、運命とは、出会うことではなく、出会わないことにこそあるのかもしれない。運命の人に、出会わない。運命はつねにすでに、不在や出会い損ないとともにしか共起しないのかもしれない。出会わない/出会えないから、あの人は一生運命の人めいてく。

人生狂わすタイプ。私にはあの人はそうだった。あの人にとっても、私がそうだから、切り捨てることを決めたのだとしたら、なんか、ちょっとさびしさがやわらぐ。