私の理解によると、ラカンのいうテュケーとは、”出会い損ないとしての出会い”なのであるが、そのことによる傷/痛苦をいやすには、また出会いなおす(しかしそれも出会い損ないとしての出会いになるのだが)のがいいのだと思う。
もう一度出会ったところで、それも出会い損なうのだろうけれども、人は、あるいは少なくとも私は、一度別れた忘れられない人を「忘れる」ためには(憑き物を落とすには、と言い直してもいいかもしれない)、出会い損ないとして出会うのだとしても、もう一度その人のもとへ走り出す以外は選べない。
最近『鬼滅の刃』という漫画を読んでいるのだけれど、これもあの人の趣味から私が読もうと動機したのである。(なかなか面白い。興味なかったけど。)
人は、出会いそこないの出会いを繰り返すことで、豊かになりうると信じたい。眩しい午後に、あの人のもとへ、風と一緒に走り出す。これは、『風と共に去りぬ』という言葉とはまるで反対なのである。