また終わるために

いっしょにすごしたときめき

わたしの悲しみは

わたしの悲しみは、苦痛や遺棄などの最上級ではないし、抽象的な典型のようなものでもない。それどころか、新しい型なのであり・・・・・・。

 

 

  ロラン・バルト

 

 

【マキノ・マキナ】

新しい日の朝に気づくたび、悲しみも新たに用意され、更新される。だが、それはこれまでの悲しみとよく似た、あるいは同じ、新しいものである。