また終わるために

いっしょにすごしたときめき

宇多田ヒカル好きのまきのまきなから考える、amazarashi

抱きしめられたくて 嘘ついたあの日を

今でもずっと悔やんでる

 

 

  amazarashi『自虐家のアリー』

 

 

【そうだ、まきのさんと音楽の話をしやう】

このフレーズ、チャーミングで好きですね。というのも、順風満帆な恋人同士には「抱きしめられたくて嘘ついたあの日」すら、ラヴリーストーリーのひとつに数え上げられるのがつねなのに、それをできない/しないくらいのひっ迫した生真面目さとか、哀しみすらおぼえるイノセンス(=無垢さ)があるんだろうなと思えるので、歌い手の秋田ひろむさんのヴォーカルも手伝って、すごくきゅんとくるんですよ。いっぽうで、くどいくらいに生真面目なので、ボリューム過剰であるとすら思えます。しかし、そこがいいんですね。お母さん信仰の強い、太宰治寺山修司の影響を受けたと秋田ひろむさん本人が明言しているくらいですから、なにせ歌詞にその傾向が強く出ているのがわかりました。なんか、チャーミングだな。宇多田ヒカルと比べると、若干音楽がくどい気がしたんですけど、これは誉め言葉ですぜ。宇多田ヒカルサウンドや音楽性をたとえると、言葉がミニマリズムで、ボリューム控えめなのに、音楽は薄いヴェールを何層にも重ねたみたいにひとつひとつが繊細だけど厚い音なんですよね。けど、秋田ひろむさんは、フレーズの言い回しや、言葉一つ一つの選び方・運び方などがけっこう粘性があって、ボリューミー。というよりも、ときどきやや固かったり・難解だったりする。音はロマン派の執念みたいなのが感じられる。執着、といっていいかもしれない。希求への執着、かな?うまくいえないが。この音楽性は、太宰治の小説が好きなら、はまると思います。