また終わるために

いっしょにすごしたときめき

生きることの裂け目:call my name

表現/作品というもののいっさいは、生きることの裂け目みたいなものであり、そのタイトルは傷口なんだと思いました。まず表現/作品に出合うと、そのタイトルから入り、味わって、またタイトルに回帰するという点がまさにものがたりが傷口に回帰するのと同等のと挙動だと感じたからです。

よって、なにかしらかの病やある種の不幸についても、記号/コード、理想を言えば名前があることで、断絶や孤絶を埋めることはできなくともつながりや回帰というものができるようになると”希望すること”が可能になるのではと思い、つくづく呼び名/傷口というのは大事だと思いました。

ゆえに「名前を呼んで」という恋人間で起こる要請は、私に回帰して/戻ってきて/帰ってきて、という意味と同一といえる気がします。だれかが言っていたのですが、好きな人がいるというのは帰る場所があるということ、好きという状態は帰ることに似ていること、だと思います。