また終わるために

いっしょにすごしたときめき

こうしたわけで、私は自分の歌で

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メンデルスゾーンベートーヴェン推しだったらしく、当時は解釈されず難解とされていた第九に、自分でも演奏したり指揮したりして、めちゃくちゃハマっていたらしい。たしかに、ベートーヴェンなような起伏があり、エモーショナルな感じもあるが、ベートーヴェンと決定的に違うのは「泥臭さの有無」だ。メンデルスゾーンにはない。比較的さっぱりしてたなあと思う。

オーケストラは、完全に指揮者が演奏のカリスマ的存在であり、その人の解釈によって表情が変化する。ここが日本の古典芸能とは違う。日本にはカリスマが欠落していて、その代わり執念的とも言える程の類型化がみられる。

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おそらく、宗教文化の違いがそこにも顕在しているのだろうかと考えた。キリスト教は、キリストが布教及び信仰の絶対的対象だ。日本にはブッダ?え?みたいなくらいの感覚しかなく、ナニソレオイシイノ?的な、まあ都合よく信仰/宗教を出したり引っ込めたりするくらいの適当さがある。皆総じてその様相だから、ある意味類型的である。そこがすごい。ちなみに私は目次フェチだ。

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