また終わるために

いっしょにすごしたときめき

無力化――恋に恋する

たちまちにわたしは、わたしの欲望を、無力になったこの対象からわたしの欲望そのものへと向けてしまうだろう。わたしが欲しているのはわたしの欲望であり、恋愛対象というのはそのだしになってきたにすぎないのだった。

 

いつの日かあの人をあきらめるときが来ても、そのときわたしを把(とら)える激しい喪は、「想像界」そのものの喪であるだろう。それこそがわたしの愛したものであったからだ。愛を喪ったからこそわたしは涙するのであり、特定の彼/彼女を思って涙するわけではない。

 

 

【ロマンス・マキノ】

強がりかと思ったものの、特定の彼/彼女を思って涙するわけではない、という事実をやっと肯定できるようにまでなってきた。その通り、と素直に感じられるような。

しかし、思い出して、つまり、自分があの人を見捨てたんじゃないかという気持ちに苛まれては、また苦しんだりするのを自らを処刑にかけるかのようにすることがある。これは、もう一度あの人の無力化を解こうとしているんだ。ようするに恋に恋するとは、そういう事なんだと思う。見捨てられた、なんて言いたくなかったけど、振ったのは確かにあの人の方で、私は・あの人から・振られた側なのにね。恋に恋してるから、何度も無力化を起こしては、また無力化を解こうとする。恋愛は、呪いだよ?

 

*

 

しかし、たちまちにしてわたしは、あの人(愛する人)がこのようにして縮小され、還元され、本来はあの人が惹き起こしたものである感情からしめ出されてしまったのに気づき、苦しみを覚えることになる。あの人を見捨てた自分を有罪と感じ、自責の念にかられるのだ。私はあの人の無力化を解こうとする。もう一度苦しむよう、自分を強制することになるのである。