また終わるために

いっしょにすごしたときめき

死が夢でも、いいじゃないか

中途覚醒したときは、なにかに呼び止められたんだと考えて、たいていブログを書くようにしてゐる。もしかしたら、言葉に呼び止められたのかもしれない。

死が夢でもいいじゃないか、と思った。「私の夢は、死ぬことです」というシンプルさ。あんまりそういう人はいないかもしれない。たとえば、「死ぬときはこうであってほしいです」というのはよく聞くけれど。

彼氏が危篤状態から生還した。悪運が強いから、きっと戻ってきてくれると信じていた。でも、もしも・・・・・・、ということに、少し立ち止まることもあった。私は考えないようにしていた。その”もしも”が現実になってしまうとしても、私が今できることは普段の営みしかないのだから。日常とは、こういう事変の可能性を内包しているがゆえに特別でもある。決して、日常と特別は、切り離され独立した事象ではないのである。

死が夢でもいいじゃないか。けど、彼にはもう少し生きていてほしい。もう悲しいことは嫌なんだ。

死が夢であってほしい。だから、彼の意識が戻らない間、とっても悲しかったんだ。戻ってきてくれて、ほんとうによかった。