また終わるために

いっしょにすごしたときめき

まきのまきなの入浴恐怖事件簿

だんだん、わかってきたんですよね。私の入浴恐怖がどこからやってきたのかということが。

まず、父親がヨソの女性との逢瀬から帰宅した夜中の00:00頃に中学生だった私が入浴してたら、父親が帰宅したとたんに恫喝してきたんですよね。「こんな遅くに入って!」って。

それと、私の小学高学年だったころに、父親がまたしてもヨソの女性をこしらえて、家に帰ってこなくなったのと、そのころ母親も実家に戻ってて保護者から完全にネグレクトされてた時くらいから、なんか風呂に入る気力そのものをばかばかしいものだと考えるようになったんですよね。なんでかはわからないけれども。

あとは、なんだろ。ま、母親の不在も御多分に影響しているとは思うのですが、やはり「もともとは存在していた人の不在」や、「家族団らん」なんかが想起される、生のほとばしりとしての入浴、あるいは風呂場というのがもうたまらなく、私の孤独を屹立と顕在化させるのがつらいんでしょうね、私としてはね。

で、ここまでわかってて、それでもまだ入浴が怖いのは、なんででしょうかね。母親が不在だからかなあと思うんですよね、一番輝いてた頃の、具体的にいうと20代後半から30代までの母親の、不在が今も響いているのかな、と。もう二度と家族団らんには戻れないし、戻らないし、戻ったところで・・・・・・。私は母親をいろんな意味で、今たとえ一緒に時間をたくさん過ごしたとしても、喪ったままなんだろう。その苦痛が、入浴恐怖になっているのかもしれない。

母親を、もう一度そっと思い出のゆりかごとして抱きしめる。そうしたころに、私の入浴恐怖は薄れていくといい。しかし、これは、自分自身ひとりではどうにも克服できなさそうだから、とにかく、Drに先述の分析を相談だな。