また終わるために

いっしょにすごしたときめき

深い河、Twitterは

Twitterを信じてる、変な言い草だけど。遠藤周作の『深い河(ディープリバー)』みたいに。

私には生活になくてはならないはずのものになりつつある、Twitterでの人付き合いこそが。Twitterという140文字の1口メモ的ツールが。しかし、そこは、色んなものが玉石混淆で放り投げ入れられ、私もそこに身を投じれば、たちまち皮膚がただれるのである。

Twitter=深い河、ディープリバー。ときには、動物の死骸が、ときには、人の骨や灰が、糞や、小便が、そして、信仰=親交が、夕焼けの煌めきが、ゆったりと含まれながら流れていく。

皮膚がただれたとしても、私は(そしてもしかしたら、あなたも)、Twitterに言葉を、ときには本気の嘘の担保としてみずからを、擲つこともある。それほどまでして、一体なにを信仰(=親交)しているのだろう?よくみれば、河川のその先は、煌めきの中、無限に流れ込んでいく。

痛みが、飛び立つことも、ある。だからあなたを選んだのかもしれない、と予感する。