漱石の『三四郎』は、ストレイシープ、ストレイシープ・・・・・・とつぶやいて幕を閉じる。
どこへ登場しても、私はその場にとどまることなく、人付き合いはリセマラだという意味だと思うが、要するに誰もが諸行無常という名の景色変化に惑わされる迷子なのだということかもしれない。
言葉――おしゃべりも、洋服――流行り廃りも、友人――人付き合いも、よく変わる。私はとどまらない。だけど、私だけがその場で浮き彫りになる。周りの変化が激しければ激しいほど私は巻き込まれるのではなく、浮き彫りになるのである。
ひとりじゃ孤独を感じられない。その証左であるかのように。