また終わるために

いっしょにすごしたときめき

なんてこった、少しばかり良心的ではないか!

以前も述べたが、少しばかり良心的であることや類型的一般性というのは、ある意味でとても狂気的なのである。

「フツーってなんだろう」という中学生みたいな問いをためしに出してみよう。フツーについて考えることこそ、最も狂気なんだから。

私は日本の類型的美によく圧倒される。下ごしらえの段階ですでにつねに他者の眼差しへの意識がある。たとえば、能、とかね。舞台道具の用意ですら、黒子たちの動き、姿、格好は類型的だ。類型で圧倒することは最も日本的な美意識なのである。

昨今のアイドル論にもこれは通じるが、ちょっとこの話はまた今度。