また終わるために

いっしょにすごしたときめき

友情の謂い

たまにひとと疎遠になると、さよならといって自宅に戻る途中に不安になったりもするし、もしかしたらそれが永遠のさよならになったりもするだろう。じんせいはなにがおこるのかわからない。なにがおこっても、おかしくない。なぜなら人生という所与じたいがもうね、つねにすでにバグっているから。

そう。ひとはあまりにも過酷でつらいことやかなしいことややるせないことのちりばめられた人生にたいするには、むしろ脆弱すぎるくらいだ、そう作られていることが不思議でたまらない。そのかわりなのか、そういう矛盾と相性の良く作られている、世界にある不可解な事象、それが愛なんだと思う。

友情は、扉を開けたらいる、というのではない。ただ、扉が閉まっている時間が長かろうが短かろうが、はーい、と奥の間から応答があること。なるほど、これが友情の謂いである。