また終わるために

いっしょにすごしたときめき

言葉の魚は泳ぐ

フィクションを書くことについて考えると、自分自身がこれまで味わったことの無いほど興奮するのである……強烈な快楽だ。たまらない。

私は、言葉が好きだ。言葉が、たとえ箸であの雲を掴んでみろ、と言われる対象だとしても、巨大な洗濯機(水槽ではない)の中を物凄い速さで泳ぐ魚をいけどってこいと言われる対象だとしても、まるで言葉が大通りを何も通らないのに赤信号待ちするようなものだとしても。

フィクションにしようと試みるだけでも、見えてくる問題点や視座がかなり変わるのである……私は助けられている、生かされている。

例えば「次のフィクションはこうしよう」、「これがいいか、あれがいいか、どうしようか」と思うものの、思い悩むのも楽しい……どんな風に料理しても食べられるんだ、という気がして。とにかくこんな快楽は滅多にお目にかかれないのである。

言葉の魚は泳ぐ……どこまでも。暖かい場所を求めて。いつも、いつまでも。