また終わるために

いっしょにすごしたときめき

言葉の魚はTwitterでも泳ぐ

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私は義侠心というものが(以前もどこかで話したかもしれないが)希薄で、だから今回の騒動ですら、変な言い方だけど私はまあくわしく耳に入ってこない桟敷に座っていた観客のままだったのだろうと思う。みんな適切な世界において、適切であろうとやっきになっているんだなあとなんとなく考えた・・・・・・、答えはもちろんでない。ただの感想だから。

たくさん行きかう言葉の交通があって、そこは便がいいところもわるいところもある。いわゆる、”界隈”というやつのことだ。私はあるとき人から「まきのには界隈がないなあ、だからたぶんだけど、それでフォロワーは増えてもフォローが増えないんじゃない?」と言われたことがあった。なにもない。ということは、なんでもある、という意味かもしれない。どちらでも、いい。私は、界隈や属性に全く興味ない。

それにしても、やっぱり痛手を自身で直に受けたから、人権という意味の強い言葉や徳義心なんかが動機になって発言が出てきたりしていたのだろうか。くだんの人物は個性的で癖の強いという印象はあったものの、もうべつにこれ以上でも以下でもないだろうと思っていた私は、どうしてこんなに話に勢いがついてきていたのかすらわからない。義侠心が希薄だから、いうなれば私の桟敷は一番聞こえにくいところになる。事情通というのが私にはありえないことだから。さびしいけど。

しかし、自分の暮らしがあんまりかき乱されないという点では有利かもしれない。言葉の魚はTwitterでときどき私自身を襲う時があってそれを非常に私は恐れている。だから希薄な義侠心というのは私の防衛機制のひとつなんだろうと自分を理解している。

そのわりに、というか、はぐれメタルに相談したい人というのは一定数いて、私はよく相談を受ける。たいていは深刻だったりする。秘密厳守、という空気があって密度もある。圧倒されるけど、はぐれメタルと自分を決め込んで、役に徹する。そうして泣いていることがある相談者には私からなんでもまとめ買いしてもらうつもりで話を聞いて、ときどき気晴らしに私から言葉をかける。女の子の笑い声っていいよね。