また終わるために

いっしょにすごしたときめき

うだつが上がらないまま大人になっても

刺激に飢えてとにかく高く飛んでいってしまいたい願望のカタマリみたいな子供時代だった。

今でもその名残が記憶されていて、私はうだつの上がらない人々や街並みなどにひとりで憂鬱そうに、うんざりしてしまうことがある。

私の母親はよくわたしにとっての父方の祖母(母親からみると姑、私の父親の母親)からリンチされていた。リンチとは日本語だと私刑のことであるが、この方がその内情と実情が伝わりやすいと思われる。母親は、私にとっての父方の祖母から嫉妬されていたんだろう……それはもう一生自明であるとともに、灰になってしまった不明であるとも言えるから、厄介だ。もしかしたらだけど、私は母親と私にとっての父方の祖母の間の確執について、心理機序(←私の造語)を白日にさらしたいという、なんとか証明してみせようという、……そんな思いでいたのかもしれない。私はよく、年上の老女から……嫉妬されると思うのであるから。このトレースだったんだろうなと近頃に気づき、私はまたうだつの上がらない大人になっても、生きると決めた。