また終わるために

いっしょにすごしたときめき

結婚=婚姻契約の就業

私たちは労働に関して、時間を買ってもらっている/時間を売っている、という意識でいないと、搾取される一方だという危機感を私はいつも強迫観念みたいに持っている。しかし、時間を買ってもらっている/時間を売っている、という意識は、ほとんどの人には無いにみうけられ、かつ、その重大さを分かっていないように感じるんだよ……なんで?ここに、日本の常識とされる労働の美徳という落とし穴がある気がした。私にとって、それは本当に恐ろしい。

結婚は、たしかに契約であって、しかもハローワークに行って見つけるものでも無いし、あの人に就職したの!なんて言い草は、漫画でしか見かけないものの、私は思うんだ、主婦業というものは、タフな就職だと。なぜなら、契約のもと、家事という労働をするし、それは間違いなく労力なわけで、賃金が発生しないともいえるけれど、やはり時間を費やす=機会の逸失という点では、一般企業への就業と変わらない。この点が見逃せないところ。

機会の逸失とは、ようするに、独身やひとり身ならありとあらゆるペナルティを抜きにしてできたあれこれができなくなるという点で、結婚は契約=家事などへのパートナーへの就業、というインディビジュアリズムを忘れたら、それこそ女性は搾取される一方ではなかろうかと思うんです。

いかがですかね?