また終わるために

いっしょにすごしたときめき

なによりもゆるせないのは

苦しみや悲しみの過剰で私は自分のそういう抱えきれなかった感情を、快楽を手放すことで相殺したつもりでいたのだけども、それは大いに見当違いな方法でとてもとても苦い、不能感と不全感のみ手元に残ったのだった。

裏切られた青春の姿こそ、今の私そのものなんだが、私はもう再起不能なのだろうか?何よりも許せないのは出来事でも、父親や母親でも、まして神や人生でもなく、私はそういう動けなくなった事実が許せない気がした。そういう自分自身を許せずに来たのだった。

受け入れて、変えられるのは変えてみる。今ならなんとかなりそうだと思う。

もう済んだことだと決めつけてきたけど、不能と不全は、御免なんだ。ただ、そう思うんだ。