また終わるために

いっしょにすごしたときめき

喪った意味、あるいは父親はいるが母親がいないこと

人生や、生きることの「意味」なんて、本当は無いことをわかっているけれども、あえてその言い草を採択して言えば、私は得意科目の英語を頑張っても生きる意味なんてないんだという自覚をある瞬間してからというもの、なんとなく鬱々と過ごしては、英語に対して違和感をおぼえつつ生きてきた。

「英語をがんばったところで、私の不完全さはかわらないし、意味無いでしょ」というつらい自覚。どうしてこうなってしまったんだろう。

父親を、倒したかった。私を傷つけ、いびり、認めないその相手を。

今はもう幻のような過去になりつつあるが、影響は悪いままでしかも大きい。どうしてあのとき、受け入れてくれず、認めてくれず、ケチつけられていたのか、それは私のせいなのか?わたしが不完全で歪な存在だからなのか?どうして?生きる意味を喪った気がした。つらかった。母親がいない、父親がいる、ただそれが、もうつらくてたまらなかった。

信じることを教えてほしい、もう一度。