また終わるために

いっしょにすごしたときめき

感情、というできごと

私は私の感情をなるべく意識しないように生きることで、自分を守っていた。とてもつらい思春期だったし、あんまりにも苦しくてかかえきれないほどの悲しみやつらい気持ちがあったから。

だから、そうすると、楽しいはずの快楽まで逃げていってしまい、私は発展しなくなったんだよ。今もそう。苦しさを味わわないようにすると、成長のための楽しさまで無効化されて、私は一体なんなのか、とエニグマに陥る。そして、それはなかなか逃れることの出来ない落とし穴だ。

私は夢中で英語を勉強していたあの頃に戻りたいような気持ちもしている。つらくて、楽しかった、あのころに。ただ、もう戻れないから、仮に手に入れる何か別の新しいものがあるとすれば、違った形で同じふうな快楽かと思ってもいる。そして、それで、いい。

今も私は、感情を見詰めないようにしている延長上にいるのだろうか?感じることをタブーとされていた頃の、続編でしかないのだろうか?