また終わるために

いっしょにすごしたときめき

Noble of deracine

もうすぐで春だから、旅立ちの季節。その時に私はどんなところにいて、何を羨み、何を求めてるか?

今の暮らしだろう、きっと、その時に求めているものは。畢竟今現在の暮らしは私の満願だから、まさに今が人生というここちだ。ゆるくほのあたたかく、ほのひらく、ほの光。もうここから動きたくないという矜持。私は働くことは害悪だと信じている、フランスでさもありなん、というように。

私は後悔する前進というものをしなくてはならない。それは、なんのためもなく、生活のためにである。馬鹿らしい。

不安と嫌な予感と、後悔する未来しかないと分かっているのに避けられない。しかし、これは私の咎では、ないはず。人間は卑しいから働かずにはいられない。花のように、咲いているだけではいけないらしい。野の花、あの花は無垢なのではなく、その生の矜恃のもと、美しいのである。

ポップにはなり切れない人々のポップな渇望

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アンディ・ウォーホルがアジアの美術やアート、とりわけ日本に傾倒していたのは作品から滲み出ているので言うまでもない事実である。

 

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彼はポップを作り、ポップを切り、ポップを抉っていくことでさらにはポップの正体が万人に必ず平等に与えられる死にあると嗅ぎつけた。死の匂い。ポップを突き詰めれば、要するに死の匂いがする、と……彼は示したかったのかもしれない。この画像のモデルは生命力溢れる満面の笑顔だが、彼の仕掛けか思惑か、死の匂いしか逆にしない。バイオハザードサイレントヒルとかに出てきそうだし、ホラーでサイコな感じである。ポップとは、そういった正体を核に持っている。

脱線するが、量産型や地雷系が、ポップなのに死の匂いがするのは、私に言わせれば、当の彼女たちがポップになりきれないただならぬ生活という生命の活動のまま「生きている」からなんだと思う。


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日本の舞妓さん。表情が猛烈に良い。


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赤の塊。上手い表現だ。ニヒルな視点だとも思う。

 

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アンディ・ウォーホルキース・ヘリング

どう考えても、キース・ヘリングのがお人好しです。

息、域、粋、生きを学ぶ合気道

合気道をして長い先生は、とても粋なんだよなあ。声も凛とした響きだし、姿勢も粋だ。鈴が鳴るような音の聞こえてくる心地がいつもする、その佇まい。もう中年の域なのに、見事だ、人間はこうして美しい息を吐くこともあるんだな、と思う。

私はねこねこ猫背で、なかなか粋には程遠いけども、おそらく人から言われるようになる頃にも粋の域に到達するのは永遠に遠いんだろうと気づくんだと思われる。人はそうしていつの間にか、そこに·すっと·生きるようになる。

そして、それでいいんだろう。生きる。

世界に嫉妬すること

ピカソをはじめとする現代美術の根底には、アート全体にもともと言えることかもしれないけれども改めて神の創造である現実世界のクリーチャーや、あるいはその世界そのもののあり方への嫉妬があるんだろう、という気がした。

私は芸術家とは、もとからある世界の在り方への嫉妬や激情がなくちゃ成り立たないお商売だと思っていて、とくに絵を描く人々にはそれが顕著なんだというふうに思う。

キュビスムも、シュルレアリスムも、世界にあるそのものの在り方への嫉妬が顕著だろうと。だから、多面的にみたい気持ちを欲望のままに2元世界(=紙)に表現したし、シュルレアリスムも、ようするに現実を超えたいという名前の意味からも分かるように、その欲望が起源なんだろうな……私、勝手にそう思ったよ。

 


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京都の夜が私に凄んできて、急いで帰宅した。とても濃度の高い暗闇だった。ルートヴィヒ美術展。家で苺を食べた。自作のコーンスープも飲んだ。買ったばかりのフロアランプが橙をこぼしていて……安堵に涙しそうだった。私、私はどうして生まれたんだろう?

お菓子、凄い。

お菓子を食べるごとにつくづく思うのだが、このただの嗜好品でしかない、人の生存に必要な栄養素がそれほど含まれていないものを美味しいと感受することは、食文化の中でも凄いことなんじゃないかと。

あるいは、そういう「なんの栄養素もない」嗜好品を美味しいと感受する人間が凄いのだろうか。お菓子、とくに、日本のお菓子は世界的に見ても美味しいらしく、その企業努力には頭が下がる。だって、繰り返すようだけども、なんの栄養素もないただの嗜好品をこんなにリピートしたくなる気持ちにさせるのは、作り手の努力と文化の結実だとーー大袈裟でなく、掛け値なしにそう思うんだよ。

お菓子、凄い。人間、凄い。

暮らしている(生きてはいない、気がする)

なにか待ちぼうけを喰らっているかのような心地で、郵便受けの蓋を開ける。カラである。私はそのソラを受け取ったのだと思うことにした。いつか、伝達の鳥がそのソラに住んでくれたらいいと願いながら。

私は、一人暮らしである。つい最近、元彼になったその人と暮らしていたものの、関係を解消したから、私はひとりになった。よくひとりで静かに笑う……私は可笑しいと思いつつ、その思い出に頬笑む癖を止められない。

暮らして、いる。生きては、いない。しかし、それで、いい。

泣き空

今日は元彼の誕生日で……そんな日に私はこんなにも泣きそうな過ごし方をしてしまった……。

英会話教室のメンバーはほとんど嫌いな人間だらけ。敵しかいないと思うと、本当にやるせなくて涙出そうになる。こらえて、見上げると雨が降りそうな重い曇天だった。

こんな時に彼が今も居てくれていたら……どうなっていただろうな……。

眠気と涙の気配の狭間で、私は隔絶された自分を感じる。この時に、ああ、成長が望めたらいいのに。誰かのためでなく、自分のためにだけでもいいから、強くなれたらいいのに。

まきののギャル志向

ギャルの何が羨ましいかをあえていうならば、その図太さ、傍若無人さ、軽さ、なのかもしれない。けど、軽さはもうだいぶ前からギャルにすらなくなって、ずいぶん世の中は重くのしかかる暗い空気になったなあと思う。

今日みたいな日はギャルみたいに「ダルいわ」と連発してばかりいる。ダルい、ダルいのである。何をするにも億劫で気が進まない。ゾンビみたいに繁華街を歩くあのギャルたち、あんな様相で私もいるのかもしれない。つらい。あれは、みっともないと思う。

ギャルのすごいところは、ヒエラルキーの上位に自身が位置するのを疑わないところである。ただひとをくっているだけに過ぎないその所作や仕草を、上位の存在としてできる限定された特別な所与だと思っているところ……若さゆえの驕り。そのギャルはたち。

先日は成人式だったな……ギャルはどこへ行ったんだろう?

まきのの恋愛脳

1番初めの元彼は、東大卒だったけど、ギャンブルばかりのニートだった。

2番目の元彼は、働かない訳では無いけど、ODと自傷を繰り返す病的な人だった。

私はここにきて、独り身の今、気づいた。私の恋愛遍歴に普通の人は1人としていなかったということに。

きっと、問題が私にある。相手にあった問題を自分のものにしたかったのだろうか?わからないけど、とにかく問題が私にある。これをこえる力と受け入れる力、それが今とても欲しい。

うっとりうっかり

こう、私のブログはうっとりしては、うっかりしてると思うんですよ。

さっき、『あの場所で』っていう文章を書いたけど、なにか見落としてるとしか思えないんだよなあ、私のうっとりには必ずうっかりが潜んでいる。

さっき右耳にひどい耳鳴りが走って「すわ!?突発性難聴か!?」とおののいたのだけども、どうしよう?病院に行くべきか知らん?今は聴こえにくいこともないからもう大丈夫かなあとも思うものの。

たぶんねえ、みんなのうっとりにも、うっかりが潜んでいると思いますよ?うっとりは、うっかりしないと出来ませんからね、たぶん。うっとりでうっかりを包んでみるんだよ、そうすると優しい気持ちになれる。おすすめ、うっとりうっかり。