中学生の頃から本格的に日記をつけて以来もう20年以上は経っているが、それでもなおいまだに数十冊を超える日記帳を1頁も開いて読み返す勇気が出ない。そこには過去との再会が待っている。私の望むところなのだが、痛ましい過去と、「狂人の文章」と元彼に言わしめた幼い私自身の言葉を味わう準備はいつまでも出来そうにない。
書き捨てるつもりだったから。紙に置いていけ、と神(紙)にすがる思いだったから。そんなのたうち回るような肉筆と言葉の羅列、いかにも整然とした今の私が読んだら……怖いことが起こりそうだ。勇気、募集中。
だけど、ずっと前に1度、読み返したことがあった。そこに書かれていたのは、「ふつーに両親が揃ってる(今の言葉で言うところの)”陽キャ”の子たちへのルサンチマン」だった。前も話していたら、ごめん。でも、もう一度ここで話そうと思う。
私はこんなつらい思いをしたんだからいつか有名になって、だれも自分をなめてかかれないような「人格者」になりたいと考えて、それを燃料にして燃費の悪い日々を送っていた。「もやもやする」というのが当時の私の主訴で、それはいつまで待っても晴れない洞窟のようなものだった。わたしの心象はすでに鬱に囚われていたのである。
けど、人生は勝手に動くし明日は望んでなくても押しかけてくるし、私は幼いながら息切れをおぼえる毎日で死にそうになりながら意固地に通学していた。
ある日、友人(ともちゃん、仮名)と一緒に近所のTSUTAYAへ行って、なんとなく雑誌コーナーでどのファッション雑誌がいいかと物色していたら、「ほら、マキノ、見て。ゆかりたち」と言って、当時流行っていた中高生向けのファッション雑誌を広げて見せてきた。「ゆかりたち」は載っていた。ファッションスナップである。
このゆかり(仮名)は私を非常に憎んでいて(というのも話せば長くなるから割愛するが)、私はよく分からなかったものの、まあ今となってはごく自然なことだと自分の非を認めている。しかし、当時の私は、ひとの気持ちや心の機微に気遣う余裕がなく(なにせ「もやもや」していたので)、独りで鯱ばっていた。
「私は家庭環境と両親のいざこざでこんな目に遭ったんだから、きっと強くて大きな人になるんだ」
「有名になって、母親に会いにいくんだ」ということをひとつのプライドにしていたから、「ゆかりたち」のファッションスナップが掲載されていることで、ひどく動揺した。ショックだったのである。
家に帰って、もう何をどう取り繕ってともちゃんと別れたか思い出せないほどだったが、すぐに自室で日記帳を開いた。そして、そのことを、たっぷりとは書けず、やや否認混じりだが(可哀想な私は、自分にさえ偽ってまで、プライドを守っていたのである!)ともちゃん、「ゆかりたち」、動揺、を書き連ねた。
私はよく自分にとっても、私を”健やかに”見守りたい母親にとっても、あるいは離婚した罪悪感から絶えず怒りっぽい父親にとっても、「都合の悪そうな」感情を持て余していた。否認、という形で変形させ、抑圧、という力で扱いの責任を放擲し、心を凍結させていた。その感情や心は、白い紙にさえも、うまく打ち明けられないことがよくあった。理由は、先述のとおりプライドを守りたくて、否認してたから。自分など、生きていない方がどれ程いいだろうと思っていた。楽になりたかった。もう少し、他の誰かみたいに気楽に生きたかった。ただ、それだけだったのに。
いまだに日記帳は読み返せない。
過去の私との付き合い方が、わからない。とだけ、ここに書いておく。