また終わるために

いっしょにすごしたときめき

成り行きの力に身を任せる力

成り行きの力って、いわば「こんなわたしだけどなんとか生きてきたな、よくやったな」っていう原動力のことかなって思うんですね。

たとえば、読書行為ひとつとっても、成り行きの力があるなあってついさっき気づいたんですけども、やっぱりこの成り行きの力に身を任せる力、みたいなのもあるんやろなあ、と。それって、タイミングを見極めることも、あと、信じることも、必要になってきてめちゃくちゃ難しいだろうけども、いちどその快楽を知ると、おそらくもうほかのもので代替不可なくらい暮らしの質を良くも悪くも変えてしまうと思います。

で、なにかまあ知識の向上とかでも例にできるだろうけども、この成り行きの力の底に沈んでいるのが知識っていう砂金なのかなって思います。

なにがいいたいかっていうと、もっと肩の力抜け、私。