また終わるために

いっしょにすごしたときめき

映画『メモリア』~記憶をめぐって運命を手繰り寄せること~

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記憶とは回帰なんだなあと思えた映画だった。カメラワークが人物と一定の距離を必ず保ちながらだったから、なるほど客観性を失わないで記録として残したい作品だったのかなあ、と。この映画は、解釈などで答えを導くためのものでないのはたしかだ。監督自身の苦しみ=「頭内爆発症候群」という奇病について、彼自身がごくプライベートに、こんなふうだったのかなあ、と思い返す記憶=記録。いわば、"奇病あるある"の集合体だ。

世界と少しずつズレながら、出会い損なっていきながらも、運命を手繰り寄せる主人公。病の正体を巡りつつ、最後に、"記憶の家"と言っていいところで記憶と他者と呼応する所は白眉だ。その時、外界はつねにすでに優しい雨降りで、私たちは回帰する。

記憶は、天から与えられた感性と非常に近似することがある。出会い損なうからこそ、運命はより一層の運命性を得る。世界とのズレを経験するとはいわばそういった真実に出会うきっかけなのだと思う。