また終わるために

いっしょにすごしたときめき

清らかな狂人

「それがどうした」「そんなもんだ」

手帳持ってて制度的に「障害者認定」に組み込まれている私は、父親にとってショックだったらしく手帳を持っている事実を私から打ち明けた時、絶句していた。

ばかめ、と思った。私は何を今更、と思ったのである。17年もうつ病で通院していたら、手帳取得している方が何かと得だし、ここでなんと言われようと周りの目なんて二の次だ。全く気にしないとまでは言わないものの、たかがひとつの先進国日本でそう認定されているからと言ってなんだと言うんだ?私が狂っていようと周りが狂っていようと、関係なくて、私はどこに居たって私なんだ。それは周りの人間が狂人でないという証拠にすらならないのと同じで、私が狂人であっても別に証拠は究極的にはないというものだと思う。

それならば、清らかな狂人でいたいな、と願う。自分が正常だという認知こそ、間違いなんだと疑った方がずっと知的だ。その懐疑、精神の塩は持っていたい。