また終わるために

いっしょにすごしたときめき

憎しみのスゝメ

不誠実は、人を切るし、誠実は、人を繋げる、というのが私のファイナルアンサーかもしれない。

但し、不誠実による悔しさや憎悪があれば、それは人を生かす。そもそも政治の話をして恐縮だけども、例えばとして、政治でも、愛が蔓延していたとしたら、何も生み出さないだろうと思う。が、憎しみこそ人を動かし政治を動かすのだと思うのです。

だから、不誠実で傷つけられたと思ったなら、憎むことで自分を推進していけばいいのかもしれないだろう?そういう方法だって別に禁止されてはいない。

誰も報われないのではない。憎しみは、時に傷つけられた心に成長をもたらす。

成り行きの力に身を任せる力

成り行きの力って、いわば「こんなわたしだけどなんとか生きてきたな、よくやったな」っていう原動力のことかなって思うんですね。

たとえば、読書行為ひとつとっても、成り行きの力があるなあってついさっき気づいたんですけども、やっぱりこの成り行きの力に身を任せる力、みたいなのもあるんやろなあ、と。それって、タイミングを見極めることも、あと、信じることも、必要になってきてめちゃくちゃ難しいだろうけども、いちどその快楽を知ると、おそらくもうほかのもので代替不可なくらい暮らしの質を良くも悪くも変えてしまうと思います。

で、なにかまあ知識の向上とかでも例にできるだろうけども、この成り行きの力の底に沈んでいるのが知識っていう砂金なのかなって思います。

なにがいいたいかっていうと、もっと肩の力抜け、私。

人生コーディネート

なんかずれてる人に出会うたびに思うのですけど、人生って金銭的な豊かさとか、有り余るほどの時間とかも大事かもだけど、やっぱりコーディネート力がものを言うなあって思うんですよね。

たとえば、公共交通機関にすべきか、タクシーにすべきか、っていうのも、時と場合によるわけじゃないですか。その時にいかに効率よく、しかも、金銭的負担も最小限にして、とかみたいなコーディネート(=調整)ができるかっていうのはその人のセンスの出しどころだと思います。(出しどころ!?)

で、そういうのがうまくできる人ってめちゃくちゃ重宝されるだろうし、まあ端的にいってかっこいいですよね。

お金がたくさんあるとかより、時間がたくさん余ってるとかより、それのコーディネートの仕方にその人の生活の質みたいなのが決まる気がします。

で、ずれてる人って、たとえば、私が「ブログにコメントなくて、さびしいんですよ」っていってみたら、「読みました。」っていうだけのコメントする人みたいな。そうじゃねええええええええええええええ!!ってなりますやん。

これは私のコーディネート力がないのか、その人のコーディネート力がないのか・・・・・・。

まあ、楽しかったよね。

空のかけら、ひらひら

ある日から、自分の部屋の玄関前の廊下に脈絡なく、薄青いごみ袋が未使用のままで漂流してくるようになって、なんだこれ?って思ってたんですね。で、未使用だからどうしよう、別の部屋の方のものかなって考えるじゃないですか。それで、とりあえず、気味が悪いから、なかったことにして捨てたんですよ。

で、また次の日に同じような感じで、同じ薄青さのごみ袋がまた未使用な感じで漂流してて、こんなことが3日間くらい続いて思ったんですけど、あ、これはさいきんの空のかけらがひらひらやってきたんだな、って考えるようになってきて、だんだん捨てるのがなんか忍びなくなってきたんですね。でも捨てたけど。

いい天気が続いて、それで空の片隅からその青さのかけらがひらひらやってきたんなら、しょうがないか、と。まあ、捨てたけど。

そしたら、これまたある日から突然やってこなくなって。あれはなんだったんだろうなあ。まあ、また来られても、捨てるだけだけど。

ナウシカダイエット

ダイエットしてて、何食べるべきかに悩んだら、「ナウシカなら何食べるだろうか」と考えてみたらいいんですよ。

例えば、ナウシカはあんみつは食べるだろうけど、揚げあんぱんは食べない、お粥は食べるだろうけど、チャーハンは食べない、シチューは食べるだろうけど、カレーは食べない、みたいに。

ナウシカの透明感を考えたら、食事内容にも透明感が出てくると思うんですよね。それで続けていくうちに、ほんたうに透明感溢れる人になって、駅の改札口で「ピンポーーーーーーーーん!!」って引っ掛かっても透明感溢れる人に、なる。

あと、どうしても空腹が抑えられない時は、例の「らん、らんらら、らんらんらん🎶」っていうあのちいさな子どもの王蟲をかばってるナウシカの曲を流しながら(脳内再生も可)ガム噛めばいけますよ。

無駄なのか、永遠のインタールード

私には待機の時間が長く存在していて、例えば趣味の読書も、なかなか気が向かず、ワインの発酵と熟成を待つかのように、読み時が来るのをひたすら待ちわびているのである。何を大袈裟な、というが、私には抜き差しならぬ切実な事情なのである。

なかなか読書がすすまない。困っている。前回の読書会でも、私だけ読了できず、ほかのメンバーは読了していて大変恥をかいたのだった。

なんでこういうメインに入る前のインタールードが長いんだろう。長すぎる。もしかしたら、一生待ってもメイン(=本を開く瞬間、読書する読み時)が来ないのかもしれない、だけど待つ。えいえんといちにち、待つ。

待つのは得意じゃない。だけど、待つ。向こうからやってこい、と強く願う。待つ、息も絶え絶えの大事業。待つ、静的で最もアクロバティックな攻めの態勢。待つのをやめたら、私は過呼吸を起こして死んでしまうかもしれない。

インタールードはまだまだ続く、昨日に続いて今日、明日もその次も。永遠のインタールード。忘れられない。忘れない。

市民プールへまっしぐら

今朝6:00から7kmウォーキングしまくって、そのあと10:00くらいから水中ウォーキングのために、市民プールへまっしぐらだった。

市民プールってあれなんなの?平日だからか、じいさんばあさんしかいなくて、誰も同い年くらいの人orそれ未満の年下の誰彼も皆無で、ほとんどじいさんばあさんの温泉になってんだよ、やつらは運動せず、ウォーキングもせず、えんえん世間話してるからさ。

ときどき、隣のラインですごい勢いで泳いでる、と思ったら、彼氏だった。ゆるゆる泳いでるのかおぼれてるのか危ういなと思ったら、知らないじいさんだった。

市民プールでさ、水中ウォーキングするでしょ。あ、30分たったかなっていつもはっとして時計見たらまだ15分しかたってないんだよ。で、あ、もう1時間くらいかな、って思ったら、20分たったところで、30分たったら、もう天に召されそうになるんだよね。じいさんばあさんは、もっと私より天に召される近い場所に位置してるんだろうけどさ、まあタフだよね。そりゃ痩せないわけだ。

たましひのてんぷらが食べたい

ああ、おなかすいたなあ。

なんか、食べても食べても腹減りぬ、いざいきめやも、という心持なんだが、5月病なんだろうか。

もちろん、の、”もち”の部分を、さっときな粉でまぶして、熱すぎずぬるすぎないほどよい温かさのほうじ茶と食べるとおいしいだろうなあ、と考えた。

あとは、カラッとフライされた、たましひのてんぷら。あれがおいしそうだらうなあと。それはちょっといい塩(イタリア産岩塩とか)をシンプルにつけて食べるのがよさそうだなあ。

星になった人(男性、30代)

やさぐれててこまっている。どうにもできないから、日常に明け暮れている。いろんな意見や考えやこころがあるのがわかるけど、説教くさくなるのだけは意味ないなって思う。

私はよく、ツイキャスで愚痴ったりすることがあるんだけど、それは別に解決や結論など求めているのでもなく、たんに、いわば感情をぼやきたいだけなのである。それをラジオ感覚で聞いてくれるとありがたいのだけども、時々余計なお世話をかけてくる人(=ほとんど男性)が多くて、困ることがたまにある。それにしても、本当に余計なお世話なんだけど、そのことをありがたいことをして差し上げたとでも思ってゐる男性ばかりで・・・・・・そのセンスのなさ、逆に関心する・・・・・・。

ある日、私はそらくんのことを垂れ流していた=ぼやいていた。そういう気分だったのである。もうそらくんとは絶望的に縁がなくなってしまったから、そのことを受容しつつ、それでもまだ割り切れない気持ちや現実についていけない感情を・・・・・・自分自身の慰めのために、ツイキャスでぼやいたのである。むろん、「愚痴キャス」と銘打ちつつ、それと、誰にも「どう思う?」というような解答なんかを求めることは一切発言しなかった。

いつもの常連さん(当時の。男性で30代)がお越しになって、開口一番、「結局どうしたいの?」と、コメントしてきた。私は、ううん、どうもしたくないよ?たんに愚痴りたいんだ、と言った。すごく紆余曲折して、人間には”傾聴”というアクションや、”共感”というエモーションがあることを、なんとか説明した・・・・・・。結論から言うと、その人は、すみませんでした、といって、フォローされていたアカウントもリムられて、消えた。

ああ、星になったんだな、と思った。

アニメーターにはオタク度をひけらかさないと死ぬ病でもあるのか?

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鈴木敏夫ジブリ展。まあ、アニメーターにはオタクが多いんだなと改めて認識させられた感じでしたよね。

 

 


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これは良かった。

 

 


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喧嘩売られた気がしたから行ったけど、鈴木敏夫さんがいかにオタクだったかなんていう展示はまあどうでもよかったです。

 

 


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庵野秀明展といい、鈴木敏夫展といい、「自分はこんなにもオタクですアピール展」だとおもったのだった。