また終わるために

いっしょにすごしたときめき

無駄なのか、永遠のインタールード

私には待機の時間が長く存在していて、例えば趣味の読書も、なかなか気が向かず、ワインの発酵と熟成を待つかのように、読み時が来るのをひたすら待ちわびているのである。何を大袈裟な、というが、私には抜き差しならぬ切実な事情なのである。

なかなか読書がすすまない。困っている。前回の読書会でも、私だけ読了できず、ほかのメンバーは読了していて大変恥をかいたのだった。

なんでこういうメインに入る前のインタールードが長いんだろう。長すぎる。もしかしたら、一生待ってもメイン(=本を開く瞬間、読書する読み時)が来ないのかもしれない、だけど待つ。えいえんといちにち、待つ。

待つのは得意じゃない。だけど、待つ。向こうからやってこい、と強く願う。待つ、息も絶え絶えの大事業。待つ、静的で最もアクロバティックな攻めの態勢。待つのをやめたら、私は過呼吸を起こして死んでしまうかもしれない。

インタールードはまだまだ続く、昨日に続いて今日、明日もその次も。永遠のインタールード。忘れられない。忘れない。