また終わるために

いっしょにすごしたときめき

愛に平等は存在するか

誰かに恋している人というのは、常に既に相手を待つ待機状態であり、相手を喪い始めている状態であるから、要はマゾヒスティックであると言える。私は来るか分からない相手を「にも関わらず」待ち、想像界の損なわれる事と知りつつも相手に接近したいと願う。

恋するものはマゾヒスティックである。愛に平等は存在するか。

待つこと/待機することは、マゾヒズムの中でも最もアクロバティックな行為である。恋とはロマンティックな忍従なのである。待つことは、その場で忍耐し、来るか来ないかとやきもきしながら、相手の不確定要素を包含しつつ居ることである。電話、手紙、約束……いろんな待機が私を囲む。私は相手との非対称性にそのうちいらつきはじめる。しかし、にも関わらず、私は待機するのをやめない。

こんなにアクロバットマゾヒズムは、待つ/待機状態を除いて、無いのである。