また終わるために

いっしょにすごしたときめき

【小説】愛を探し、会いに迷い、アイを知り ② ~伝聞と嘘と、本当の話~

まきのまきなは、2度結婚し、そして、その両方をうしなったのだった。つまり、離婚を2度経験している。しかし、どちらの相手も海外のひとだったので、戸籍はきれいなままである。一度目は10年間一緒に連れ添ったひとがいた。韓国の男性だ。まきのはこの経験で韓国語をマスターした。つまり、韓国の男性との恋愛、および結婚生活で、である。2度目は、アメリカの男性だった。英語はこの相手から学んだ。まきのは日本語、韓国語、英語の3か国語を話し、理解する。しかし、めったに口にしない。忘れてしまったことも理由のはんぶんにある。

もう愛の破局はこりごりだというのに、私はまた誰かを手に入れようとする。これはどういうことだろう、この性懲りのなさは?・・・・・・ああ、あるいは、そうか。私は”破局を経験(しかも2回も)したからこそ、その成就をみとめたい”のか。そうだ、そんな気がする。しかし、愛の成就とは、ヴィーも考え込み理解できない様子だったけども、いったい何を指すのだろう?何をもって、「愛の成就」が成立するのだろう。

恋愛→結婚→離婚も、経験した。だから結局は喪う事こそ、相手をより一層ほんとうに愛することのできる状態なのではないかと考えるようになってしまった。人は喪う事でしか、ようするにほんとうに相手を想うことができないのではないか、と。

それも一理ある、とまきのは考えた。しかし・・・・・・、しかし、私の父親はそれでも私より結婚→離婚の数が多く――3度、だ――こんないいかたはあけすけすぎて変なんだが、性欲の減退した70歳の頃でも、6歳年下の恋人がいた。つまり、恋愛状態にあった。なぜだ?

結婚したら?と、私は父親に言ってみたことがあった。だって、私が思春期の頃には留保無くそうしたんだから。今、彼がそれをしない方が不自然な気がしたから。

「結婚はもう懲りた」車を運転する父親はまっすぐ前を向きながらこう言って、この話はそれきりだった。

ばかな、と私は怒りを感じた。今もそうだ。そのことに対して、というよりはむしろ、思春期だった私に必要なのは彼の新しい恋人=私にとっての義理の新しい母親、ではなかったのに、つまり父親から女性の陰や姿かたち一切を感じる必要などなかったというのに、それを嫌というほど示してきたこと、あまつさえふたりは結婚し私も含め家族として共同生活を強いてきたこと、それらの苦痛を彼は私に強いてきたのに、成人してお互い自由になった途端に、懲りた、といって結婚しない。いわば、家族に操を立てているような(彼自身にその意識が一切ないにしても)状態なのは、バランスを欠いているのではないかと私はつくづくあきれたのであった。

ある日父親が電話をかけてきて、元気か、とらしくないうかがいをたててきた。私はすぐに、なんの用?と詰め寄った。気まずそうに言葉を濁した後、彼は言った。がんになった、と。肺がんだった。2年前、この病で父親は亡くなった。

病床に臥す父親が、危篤だという連絡を受け、すぐに駆け付けた。親族のものが――そこには、父親の恋人も――ならんでいた。点滴をつないで、生命のともしびのようにしずくのおちるそばで、父親は今にも目を閉じたまま戻らないところまでいく様子だった。せつこ、と言った。彼の恋人の名前である。まきな、と次に私をささやき声で呼んだ。もう口だけが動いて声がしない。まきな、の音節で精いっぱいだった彼の耳許に、私は口を近づけていった。

「死んでも許さない。お前は犯罪者のまま、埋め合わせもできずに召されろ」

私の声は、ほかの誰にも聞こえないほどささやかなものだった。そうして父親は心電図を直線にして、逝ったのだった。

これが、私の冷たい復讐の記憶。復讐は時間をかけないと功を奏さない。それを知ってのことだった。