また終わるために

いっしょにすごしたときめき

やさぐれる私「けっ、多様性。」

多様性が生存戦略のひとつとは言うものの、出来る/出来ないがどう決まるかという仕組みには、どう考えても納得できない。

私は近視眼的なので、多様性なんてなければいいのになと常々思っている。ちゅ、多様性。ではなくてむしろ、けっ、多様性。なのである。

どう考えても、理解できそうもない。出来ることが自分に増えていくと、出来ない人が居ることに狭量になる不適切な自分自身が出てくる。ここでいつもつまづくのである。

特に頭脳を使う事で、何か理解の深さや浅さといった差異を目の当たりにすると、自分が出来ない場合はむしろ安心するんだが、他者が(自分よりも)出来ない事実がわかると、どうしてだろうと、まるでこの世の理不尽全て投げつけられた気持ちになる。まだ、私が出来ないという現実の方が希望がある気がするんだ。

どうして能力差というものがこの世にあるんだろう?さびしいじゃないか。しかし、このさびしさは、如実に私を蝕むくせに、妙に世間から隔離されべき感情として取り扱われる。まるで恋心、片恋のようにさ。理不尽だよ、能力差や多様性なんて。

けっ、多様性。今すぐひとつになれ、人類。