また終わるために

いっしょにすごしたときめき

期待の裏には失望しかないですよねえ

疲労と憂鬱と孤独感が胸に嵐を呼んでいて、頭の中はむしろ静か、そうでなくとも、少なくとも私は表面的には大変静かだ。

つらくてゆううつでさびしさをおぼえると、私は買い物へ出掛けがちらしい。今日買ったものは、必要だと感じたから購入したのだけど、ボランティア活動用のサブバッグと運動用のレギンスだ。そんなに無駄使いしたとは思わない。

私は上の空で、もうひとつの上の空を探しつつ、街を徘徊した。どこに行っても上の空を見つけては、また次の上の空へと飛び付いていく。乗り換えるように。

安定剤が効きすぎているんだな、と思った。それにしても私はこの街の静かなる闖入者だ。闖入者、という音感が面白くて今どうしても言いたかったんだ。ちん、という鈴の軽やかな感じとは裏腹に、存在感が非常に静的だ、この言葉にはそういう逆説的なところがある。

信じることをもうつらくなって、する気力が無くなった私のかつての過去に気づいた。私は完全に完成させたい自分ばかりに夢中で、期待を載せていたのだが、なかなかそれが上手くいかず、父親からは「お前はアホなのか賢いのかわからないわ!」「けったいな子だな!」と、傷つけられてきてばかりだったから……。戦わなくていい相手を戦いの相手に選ばないと、前に進む燃料が生成できない時があると思うが、誰にでも、そう、あるだろうと思うが、そういう時代だったんだ、私にとっては。つらくて過酷だったな。汚れて傷だらけで、傷んでいびつな自分に優しくできずにいて……そういう頃だった。

今でもいびつな自分にはうまく優しくできないけれども、あの頃よりはずっといい感じにはなっていると思う。なのに、私はまだ、というか、もう一度信じてみることはこわくてなかなか出来ずにいる。信じると、期待の違いもうまくわからない。どうして私は父親を殺さなかったんだろう。こんな事なら、きっと彼を亡き者にした方がマシだったと思うくらいには絶望的な気持ちでいる……。期待の裏だけでいいはずの失望が、信じる気持ちにもあるという誤謬というか、誤解、誤認。私は自分に投資や投機がもうできない気がして泣きそうなんだ。どうしても欲しいものがあるのに、それに対して私はもう無力で無気力で、不能だと烙印を他ならぬ私自身の人生から押された気持ちがするから。