私の、すごく好きな人、大事な人、恋人だった人。
お別れを告げたけど、遠距離恋愛だからテクストのやりとりでメッセージ残っただけ。溶けずに。既読になると溶けるのだろうか。
私に失望しただろうか?こんなにすぐにその傍を離れてしまう私に。そして、人生すらまるごと失意の中泣いていないだろうか。
夜くん、今でも好き。でも、もう恋としてこの関係は機能しない。ありがとう。きっと、いつまでも大好きだと思う。
私の、すごく好きな人、大事な人、恋人だった人。
お別れを告げたけど、遠距離恋愛だからテクストのやりとりでメッセージ残っただけ。溶けずに。既読になると溶けるのだろうか。
私に失望しただろうか?こんなにすぐにその傍を離れてしまう私に。そして、人生すらまるごと失意の中泣いていないだろうか。
夜くん、今でも好き。でも、もう恋としてこの関係は機能しない。ありがとう。きっと、いつまでも大好きだと思う。
1人で自分自身と話し合っているような、独り言をつぶやいているような話し方をするな、という印象を持った。
そして、なかなかのレディーファーストである。初め落ち合ったのが今日の13:30頃だが、その時から約3時間ほどはまだ打ち解けた空気を観測することはなかった。しかし、クラブハリエラコリーナで私が買ったオランジェットをわけ合いっこして食べた頃から、緊張がほぐれているだろう事がわかり、次第に饒舌におしゃべりし始めた。なかなかの人見知りである。
人懐っこいところがあるから、今話題のマクドナルドのMcCafeメニューだと「甘いキャラメル弟分」に相当すると本人に伝えたら、たしかにツンデレでもないし、大人のバターでとろけさせるのでもない、と神妙な口振りで答えてきた。
スイーツが大好き、食べ物で特に苦手は無いらしい。本当言うと、そういう嗜好を持つものこそ真に育ちの好い人というイメージがあるのだが、りゅーとくんは、そう思わないらしい。彼の上品な母方の祖母の偏食こそ真の上品と思う節が彼に見受けられた。
沈黙が余程怖かったのだろうか、私が怖かったのだろうか、緊張していたからだろうか、とにかくよく喋る。食べてる時以外、とにかく、喋る。私も答える、正直言ってなんて言われたのか上手く把握できない時でも、あー、とか、うん、とか。
帰りは長距離を駅まで歩いた。あの時間はディズニーランドに匹敵する夢の国のようだった。
ありがとう、またそこでもここでも、会いましょう。
面接受けるためにその場所へと向かっている。
色んな考えが胸に去来する。期待で動く軽薄な人ばかり集まる場所が組織や会社という所だ。ところが、人は火花だけで動く訳では無い。人間を押して、堂々と図々しく牛のように進む人物が最後に残るんだ。
私はまた理不尽にさらされて、汚れていくんだろう……汚れるのは、部屋だけではない。
そういう考えが私を震え上がらせる。
幻らしい、と考えても、痛いし、その上血は確かに赤く、熱をもっていて、私たちの涙は間違いなく小さな海だ。
しかし、遠くの星の向こうの、そのまた向こうにある地球に似たなにかの星にいる何者かにとって、私たちは確かに幻だろう。
幻。
なのに、どうして生きることは大変で、こんなに心が波打って体には脈の河川や血潮の海原が内包されているんだろう……これすら幻とは到底思えず、私たちはしばしば夢からなにか信号らしいものを受け取って、その時こそ実体からの言葉を聞く時なのかもしれない。
幼い頃、よく私の空のその向こうに、大いなる読者がいて、私という登場人物にはらはらしたり、息を吹き込んだりしているのだろうと、よく考えていた。こういうことを、大真面目に主張する学者もいるんだと、さっき知ったばかりだけど。
私は私の影かもしれない、夢かもしれない、幻かもしれない。私の肉体の滅ぶ時に私は私の本質に会いに行けるのだろうか。もうひとつ、と仮に呼んでよければ、そのもうひとつの私に。死とは私の果てにいる私に会うことなのかもしれない。
Fという結果だったんですよ……高い受験料を支払ったからその供養のために試験を受けることにしたんですけども、いくら勉強していなかったからとはいえ、私自身に原因があるからと分かっているものの、F、だったんですよね……。不合格。
もう世の中全部Fになれば私は無敵の人でしょうね。だってみんなFだから。しかし、そうはいかない。Aの方もいれば、B、C、の方もいる。
すべてはFになれば、私はどうでもいい人になるでしょう。しかし、すべてはFにならないから、私はいつまで経っても特別な私の私です。
来年こそは、パスするよ。やけっぱちでもヤケクソでも、やぶれかぶれでも、Fは返上して夢叶える人になる。すべてはFにならない。
恋人は、クリスマスには訪れなくて会えない日々はまだ続く。
私は不在に耐え、不在を操作しなければならない。それはもう不器用ながら始めた習い事のようで、いまではすっかり慣れた手つきで不在を操作している。私は恋人の不在を受け入れ、切なさをどこかに閉まっておくことに成功しているのである。
しかし、沈黙が続く一人暮らしを束の間、疑問がよぎる。私は恋人に会える日に辿り着くだろうか、と。そんな日は永遠にたどり着けないのではないだろうか……。
愛情に疲れたら、ひっそり眠るのもいいもんだと思ってたけど、今私はまださびしいが故にこのまま眠ってしまうのが本当に怖いのです。
だからって、オレンジのような気力はどこからも湧いてこず、一体私はこれまでのひとり生活をどうやって営んできたのだろうかと急に訝しく思い始めたのです。
何がつらいのか、今ならはっきり言えるのだが、これまではそれすら意識せずにひとりで暮らしていた。かつては2人だったはずの1人がかけて、その空洞は埋まらないものの、私なりに暮らしてきたんだ。なぜさびしい?そして、さびしくあることを、どうして自問自答して責める?どうしたんだろう私は?
明日はボランティア活動で炊き出しの手伝いをする。寒空の下にメリークリスマス。
先週じつはピアノレッスンをエスケープしたんですけども、それを「仕事が急に入った」という理由で連絡もなく無断欠席したんですよね。そんな言い訳もちろん嘘なんだけど。
で、今日は勇気出して、ピアノレッスンに行ったんですよ。マダムに「ごめんなさい、先週は急に仕事が入ったんです」とお詫びしたら、「心配してたんです、でも、余計な電話しない方がいいと思って遠慮しました」とマダムから言われました。私はとにかく詫びました。
ピアノレッスンは楽しいんですよ……だけど、練習が日常に入り込むタイミングが掴めず、私はとりあえずレッスンに向かう直前に練習してるんですよね。それでもマダムは褒めてくれるから、私はなんだか後ろめたくて、もう少し頑張るべきなのかと自責の念にかられました。
つい無断欠席してしまったのはそれがためです。ごめんなさい、マダム。良いお年を。