また終わるために

いっしょにすごしたときめき

私ひとりが色のない花

幻らしい、と考えても、痛いし、その上血は確かに赤く、熱をもっていて、私たちの涙は間違いなく小さな海だ。

しかし、遠くの星の向こうの、そのまた向こうにある地球に似たなにかの星にいる何者かにとって、私たちは確かに幻だろう。

幻。

なのに、どうして生きることは大変で、こんなに心が波打って体には脈の河川や血潮の海原が内包されているんだろう……これすら幻とは到底思えず、私たちはしばしば夢からなにか信号らしいものを受け取って、その時こそ実体からの言葉を聞く時なのかもしれない。

幼い頃、よく私の空のその向こうに、大いなる読者がいて、私という登場人物にはらはらしたり、息を吹き込んだりしているのだろうと、よく考えていた。こういうことを、大真面目に主張する学者もいるんだと、さっき知ったばかりだけど。

私は私の影かもしれない、夢かもしれない、幻かもしれない。私の肉体の滅ぶ時に私は私の本質に会いに行けるのだろうか。もうひとつ、と仮に呼んでよければ、そのもうひとつの私に。死とは私の果てにいる私に会うことなのかもしれない。