また終わるために

いっしょにすごしたときめき

好き嫌いは理屈じゃ無いんだ

あなたに助けられたから好きというわけでも無いし、あなたが風流人だから好きというのでも無い。ただ、ふっと好きなんだ。好きだから、あなたの悪口を言って、あなたをからかってみたくなるんだ。

 

 

  太宰治

 

御伽草子浦島まきな】

あの人は、好きだと言っては、誘惑し、ある程度親密になったところで拒絶し、もう気持ちが満足に達すれば(つまり飽きたら)、またあらたな対象をだしにして繰り返す。その一定の運動・挙動によって、心理的に何を確保したいのかと私の独断と偏見で解析してみると、やっぱりねえ、家族から虐待されて、愛されなかったから・家族とのかかわりや関係自体があの人自身にとって有害だったから、それで成人して独立したけど、そのしこりは潜在的に残ってて、「自分は家族から見放されているんだ/捨てられているんだ」という認識をなんとか「あんな家族なんていらないって自分が決断して自分から捨ててやった」という風に変質させたいという願望が先述の、誘惑→拒絶→新たな対象で繰り返し、という運動・挙動につながっているんだと思ったんですね。私も心当たりあるからこんなえらそうに言っちゃってますけども、まああくまで推測の域をでないので、わからないですけどね。男性の場合、本人に社会性がないと恋人ができないらしく、女性の場合は、同性の友人ができないらしいです。どこかで聞きました。だから、その社会性が担保されたフィールドで、自分の達成したい、あるいは、できないでいるだろうことをなんとかできるようにしたいともがいているように見えるので、私なんかはそういうことに気づいたとき本当に身につまされるくらいつらかったですし、あの人が気の毒でたまらないですね。それでも/にもかかわらず?だからなおさら一層、好意を持ち続けていられるというのももちろんあります。相手の弱いところを好きだと思うと、それはもう本気度の強い恋情だと思います。だって、弱さはずっと弱さのままだろうから。強さは変質してしまうことがありますけど。