また終わるために

いっしょにすごしたときめき

戦略的いい人

私は、いい人とはよそおいのことなんだと思ってゐて、それはなにも洋服とか外見や身だしなみだけじゃなく、行いそのものをよそおう、とでもいおうか、たとえそれがこころを伴わない偽善だという自覚が”伴って”も、それがいい人という評価や恩として自分を彩る要素にはなりうるのだ。

私は、ボランティア活動を、してゐる。けど、それはなにも義侠心や正義の心からの派生なのではなく、彼氏に裏切られてつらかった心を、新しい縁でなんとかしたいという下心からの行動であった。きっかけは、下心なんだ、要するに。そして、いいことと世間で一般的に評価されていることは、下心があれば、続きやすいのである。

よって、戦略的にいい人を履行するには、下心が不可欠であるといえる。つまりそれは戦略的に下心を持つ=いい人になろう、と、試してみることなんじゃないかなと、思うまきのであった。

だって、「趣味はボランティアです」っていかにも自分をいい人に寄らせる言葉ですやん。言ってみたかったんだよ。