また終わるために

いっしょにすごしたときめき

子供が親の期待に応える時、そこに愛や平和は生じるか

「失望させたくない」

というネガティヴな想いにとらわれていて、親の問題も、家庭の問題も、とにかく私が夢を示していけば何とかなるんかなとほんのり考えてたんですよね。

誰かの期待に私が応える時、そこに愛はあるのか?平和はあるのか?私は満足なのか。私を置いてきぼりにする家庭環境と両親に、私がどうして忠義を尽くす必要があったのか謎ですよね。子供は、とにかく親の意識と家庭環境が自分にとって由々しき問題と知っているから、なんとか愛より夢を示して行こうとしますよね。なんてつらいんだろうな、そんなことしても、あの病んだ大人の問題や心は何も変わらないというのに。

で、無茶なことを自分は実現しようとしているという無理がたたって、あるいは、無理なんだと悟って諦念と脱力が自分を襲ってきた時、私ははっとしましたよ。あ、うつ病なんだ、私、って。

まあつらかったですよね。私は無能と決めつけられた気がして。今もその烙印が消えずにあるんよね。