また終わるために

いっしょにすごしたときめき

合気道モード

合気道は、武術ではなくて、「道」という字を書くことからもひとつの人道主義なんだと私は思った。

体験でレッスンを受けて、これは私とのシンクロ率高そうだなとちょっとうぬぼれていた。背筋は伸びるし、腹筋は鍛えられるし、相手と勝負して白黒つけるんではなく・こてんぱんに相手をやっつけるためでもなく、相手と和合するためのひとつの方法なんだということが教わって気づいたことだ。私に牙をむくことで相手が道を踏み誤らないようにさせるということ。これがいわば目的の主軸だと感じた。私は両目をレーシック治療しているため、どうかんがえてもボクシングや空手といった派手な格闘技はむやみな試みと恐れていたものの、こうして合気道との出会いがあって、あ、よかった、これだったんだ、と心底直観したのである。

師範によると(私は師匠、と呼んでしまい、まるでお笑い芸人のような空気にいなってしまったのだった笑)、合気道はひとを殺しかねない一面もあるらしく、武術ではなくとも、護身術として有効なのはその点なんだろうということだった。思わず背筋が伸びる。30年ほど、師範はこの道に入って経ったらしい。圧倒される。

しかし、相手に勝とう、という気迫とか、そういうものが強くなればなるほどそぎ落とされる、ともお話されていた。たしかに、師範はとても柔和だった。きりっとした面持ちというより、シャンとした姿勢に柔らかい声と表情。凛としているという形容がまさにぴったりだ。

私はすっかり魅せられて、合気道モードになっている。合気道が私を待っていたのか?私が合気道を待っていたのか。わからない。けど、こんなにいいものはないという心地である。あと、3回レッスンがある。受けてみる。たぶん。