また終わるために

いっしょにすごしたときめき

漫画本の、あこがれの、なだれ込み

表紙を手で触れただけで、その本の内容を知悉してピっ♪って頭の中に全部入ったら、読書行為というものはこれほどの価値を持たなかったのかもしれないとちょっと考えた。うんうんうなりながら、自分自身を押しながら、読んでいく行為だからこそ、千何年と読書行為が引き継がれてきたのかもしれない。

漫画をたくさん買って読まないでゐる。まずい、買い物依存症かもしれない。その一環で本が大量に増えていく/いっているのかもしれない。そう思うと、読書が趣味です~、なんていえなくなってしまうではないか。まあいいんだけど、それならそれで(本当にいいのか?)

私は本棚の上の、天上に近い場所にバスケットの中いっぱいの本を置いた。もしなにか災害がやってきたら、眠っている私の顔面に一気になだれ込むという仕様だ。いや、べつに意図してそうしたんではない。私は痛がりだから、とにかく痛いのは、嫌だ。なのに、もういいや、そうなったとしても、と半ばあきらめた。なぜなら、本に埋もれて死ぬのは私の本懐だから。読めなかった積読本と一緒に荼毘に付して、海に灰を撒いてください、もし私が死んだらよろしくお願いします。