また終わるために

いっしょにすごしたときめき

止められない喪失

インターネットの不調でだいぶ書く間隔があいてしまったから、何を話したらいいか、自分自身と自分とに距離ができてしまった気分だ。

けれど、これだけはいえる。私がここに書き起こしている言葉は最近、あの人のことが多いしすべてかもしれないが、

①あの人本人からレスポンスが欲しいわけじゃない

②自ら喪の傷をえぐっていこうと決心したけれども、それはマゾヒズムでもなく、未来に起こりうる傷の痛みに対する緩衝材というのをきたいしているのでもない。ただただ、さびしいからである。

傷は、痛みは、固有のものだ。だから、その自傷行為(肉体的であれ精神的であれ)には必ず私にそれらを与えた人が立ち上がってくる。自傷行為においては、感覚が、その人(忘れがたい人)を想起させるのである。いわば、痛みでその人を召喚しているのだ。